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蒼鷺の背景投稿者:とうか投稿日:2013/09/13(Fri) 20:44No.286

はじめまして。
今年蒼鷺を合唱させてもらうことになったんですが、
意味を調べていたら、「蝦夷榛」は”エゾハンノ木”
「凍原」は”北極の木のない原野”と出てきました。

「蝦夷榛」は木なのに木のない原野って、どういうことなんでしょう、、、。

もしよかったら、回答ください。

Re: 蒼鷺の背景投稿者:まつ@管理人投稿日:2013/09/14(Sat) 07:54No.287
とうかさん、はじめまして。
添付した写真は「蒼鷺」の詩が載っている更科源蔵の「凍原の歌」という詩集です。昭和18年発行で定価2円となっています。更科源蔵は北海道東部(弟子屈町)の熊牛原野に開拓民の子として生まれ、その地で前半生の多くを送っています。この詩集にはそこでの人々の暮らしや身の回りの自然が描かれています。つまり、この詩集のタイトルになっている凍原とは作者の生まれ育った熊牛原野そのものなのです。

辞書では、凍原という語はたとえば「ツンドラ」(『広辞苑』初版)のように狭義の意味だけが紹介されているかもしれません。けれども、一般的には字面そのままに「凍った原野」の意味で使われる場合が多いように思います。冬の北海道には凍原としか言い表せないような場所がたくさんあります。この詩の場合もそのような凍った原野として捉えるのが正解です。北海道東部のしばれた原野なのです。ですから、そこに木があっても不都合はないのですよ。

この詩に描かれるエゾハンノキは湿地に多く生育する樹種で北海道では普通に見られます。詩ではエゾハンノキに冬の陽が当たって凍原の上に青い影が伸びると書かれています。冬なので木は葉を全て落とし幹と枝の輪郭だけになっています。それが冬の弱い陽に照らされ凍った白い雪原に薄く長い影を落とすわけです。エゾハンノキは1本で孤立しているか、そうでなくてもわずかな本数なのでしょう。そうでなければ影の印象がこれほど鮮やかなものにはならないはずですから。

ところで、エゾハンノキの花言葉は「忍耐」あるいは「不屈の心」なのだそうです。作者が意図したわけではないと思いますが、この花言葉は詩中のアオサギの心、あるいは詩のテーマを的確に言い当てています。偶然にしてはあまりに素晴らしい偶然ですね。
無題投稿者:はるか投稿日:2011/10/29(Sat) 11:09No.194

はじめまして。

今年の合唱コンクールで蒼鷺を歌います。

そこで、私は曲紹介をすることになりました。
1分間という短い間で
蒼鷺という鳥を知ってもらえたり
曲の意味をわかってもらうには
どうやって書けばいいのですか??
ずっと悩んでいるのですが
うまくまとまりません。
回答よろしくお願いします。

Re: 無題投稿者:もんち投稿日:2011/10/29(Sat) 18:56No.196
私たちのクラスは
極寒の冬に耐える青鷺と まだまだ未熟な自分たちを比較した様な感じの曲紹介でした。
曲紹介担当の子は先生と相談してみた!と言っていました。
先生とかと相談してみるのもいいと思います!!
頑張ってください♪
Re: 無題投稿者:まつ@管理人投稿日:2011/10/31(Mon) 17:32No.202
はるかさん、はじめまして。
1分ですか。これは難題ですね。ただ、時間が限られているということは、瑣末なことを切り捨てて本当に重要なことのみに絞れるわけで、そう考えればそれほど難しいことではないように思います。

まず、できればアオサギの姿形の説明はしたほうがいいでしょうね。サギの姿をまるでイメージできない人もいるはずですから。ツルのように首と足が長い鳥を想像してもらえばOKです。ただ、1分の中では難しいということなら、これはばっさり省いても構わないと思います。さて、ここからがポイントです。この詩のアオサギは首を縮めて立っています。文字では書かれていませんが、首を縮めたアオサギでなければこの詩は成立しません。いわゆる佇むという姿勢です。おそらく、サギ以外で佇むという表現が当てはまる鳥は他にいないでしょう。佇んでいるアオサギについては下記ページにいくつか写真がありますので、それらを見て参考にしていただければと思います。
「合唱曲『蒼鷺』」 ⇒ https://www.grey-heron.net/forum/58-chorus/
ともかく、アオサギが佇む姿勢であることがこの詩では決定的に重要です。この姿勢さえイメージできれば、あとは北海道の凍原でじっと動かないという場面を説明するだけで、この詩の紹介としては事足りると思います。アオサギが佇んでいるイメージとそのアオサギが置かれている場面を視覚的に理解できるように丁寧に説明すれば、それだけで1分くらいは経ってしまいます。詩の意味するところなど説明しはじめたら、それこそ時間がいくらあっても足りません。つまらない先入観を植え付けるだけで却って逆効果です。詩に何を想像するかは人それぞれ、それは聴く人に任せておけば良いのではないでしょうか? 

ここに書いたのはおそらくもっともオーソドックスな曲紹介の仕方です。この点さえ押さえておけば、もんちさんのところのようにオリジナリティのある曲紹介も可能だと思いますよ。
Re:Re: 無題 Re:No.202投稿者:ひーちゃんのしんゆう投稿日:2013/09/02(Mon) 22:14No.284
私も、合唱コンクールで蒼鷺を歌うことになり、スピーチをすることになりました。そこで、まつ@管理人さんの佇むという表現を使わせていただきます。といっても、これでやっと2文目が思いついたところなのです。一分には程遠い。
Re: 無題投稿者:まつ@管理人投稿日:2013/09/03(Tue) 07:39No.285
ひーちゃんのしんゆうさん、はじめまして。お役に立てて何よりです。
参考までに春先の氷が解けはじめた頃に撮した写真を貼っておきました。時期が時期なので詩に描かれたような壮絶な悲壮感はありませんが、佇むという姿勢はこれで分かっていただけるかと思います。

サギに特有の姿勢とまではいわなくても、この姿勢をとれる鳥はそうそういないはずです。この格好がともすれば人のように見えることもあり、サギの擬人化は古今東西、さまざまな文化の中で行われてきました。昔から人が感情移入しやすい鳥だったのでしょうね。

短い時間のスピーチは、初めから短い枠で考えるより、思いついたことをあれこれ全部並べて、その上であまり重要でないことをばっさばっさと削ぎ落としていくほうが楽ですよ。メインは合唱のほうですし、あまり気負わずがんばってください。
中学三年生です。今度合唱コンクールで歌います投稿者:欝桟゙投稿日:2013/06/22(Sat) 09:09No.281

私の学校の音楽の先生が
作詞?作曲者?どちらかだったか
さだかではないですが
直接話を聞きに行ったところ
この歌はアイヌの文化を継承していく
青鷺はその意志の強さを表している
青鷺は死んでないし死ぬわけにもいかないそうです

掲示板の中にそのような話があったので
気になり書かせていただきました

Re: 中学三年生です。今度合唱コンクールで歌います投稿者:まつ@管理人投稿日:2013/06/22(Sat) 18:32No.283
欝桟゛さん、はじめまして。
貴重な情報をありがとうございます。行動力のある先生ですね。
ご存知のように、この合唱曲は更科源蔵さんが作った詩に長谷部匡俊さんが曲をつけたものです。詩自体は『凍原の歌』という昭和18年(1943年)に発行された詩集に収められているもので、もともと曲をつけることを目的に書かれたものではありません。その後、更科さんは1985年に亡くなっており、この詩が合唱曲として再び世に出るのはそれからさらに8年後のことになります。音楽の先生がお話を伺ったというのは合唱曲になってからのことでしょうから、更科さんではなく作曲した長谷部さんのほうに尋ねられたのでしょう。その長谷部さんはというと、更科さんが亡くなったときは二十歳そこそこです。『蒼鷺』を作曲するのがこれよりずっと後であることを考えると、あくまで想像ですが、更科さんとの直接の面識は無いのではないかと思います。だとすると、音楽の先生が長谷部さんから聞き取った話は長谷部さん独自の『蒼鷺』の解釈だと考えられます。もっとも、更科さんが自分の詩について、真意はこのようなものであったとか、アオサギは実際は死んでいるとかいないとか、そういったことを何か別のところに書き残していて、それを長谷部さんが読まれたということも考えられますが、私の知っている限りそうした資料はありません。それが無いために、この掲示板にもあれこれ想像を巡らして書いているようなわけです。更科さんだけでなく詩を書く人は、はじめから読者にひと通りにしか解釈できないようなイメージは提供しないでしょう。詩の解釈に正解はありませんし、正解の無い自由さこそ詩の命なのですから。

とはいえ、アオサギが死ぬのか生きるのかという問題は、どちらの解釈を取るかで作者の思いがまるっきり変わってしまいます。その点、この部分の自由度はかなり制限されているのかもしれません。この詩では生死の問題は曖昧なままぼかされ、それが一面ではこの詩の妙味にもなっています。しかし、作者にしてみればわざと答えをぼかしているという意識はなかったのではないでしょうか。自明のことだからはっきり書く必要がなかっただけなのだと思います。

つまり、私も長谷部さんと同じ解釈です。アオサギは死んでいないし死ぬわけにもいきません。ただし、アイヌ文化の継承云々という部分についてはそれだけではないと考えています。そこには作者本人にも正確に把握できないほど複雑で多様な背景があったはずです。その様々な思いをアオサギという象徴に集約したのではないかと。ともかく、詩ですからいろいろな解釈があっていいと思いますよ。
やっぱりアオサギは死んだのでは投稿者:投稿日:2013/01/30(Wed) 07:26No.278

初めまして
今度合唱コンクールで歌うことになり、
曲の事や詩について調べているうちにこのサイトにたどり着きました
そこで、少し疑問なのですが、まずそもそも冬の北海道にアオサギはいるのでしょうか
アオサギの生態の項を見たところ
冬は越冬の為に暖かい地域に渡ると書いてあるのですが
普段なら南に越冬しに行くはずの鳥が立ち尽くしているのは何か変ではないでしょうか
詩中の
「許さぬ枯骨」や「凍った青い影」や「動かぬ」
といった単語も、どうにも死を連想させます


併し天然は常に小さな人間の血と汗を一呑にして あがく悲嘆を絶望の底につつぱなし 更に冷酷な狡猾は勤勉を食ひあらし さまよふ騙詐は素朴をかすめさつた だが風がたち日影がさせば 土の子は倒れた豆の支柱をなほし 無慙に踏み荒された暴力の足跡に もう一度腰をかゞめて不撓の種子をうづめる このきびしい北方に生きるためには 常に休みなきたちなほりを要求され 鈍重絶えて敗退を忘れ 天の理法に則し 地の法則にしたがひ 小さくたよりなき自らをたよるよりない

この詩で描かれている世界は「厳しい世界」と「それでもなお生きる」という事だと感じられます
ですが蒼鷺の詩世界ではそれとは異なり「厳しい世界」と「その結果の死」を描いているのではないでしょうか
私は「立派に生きる事」と「立派に死ぬ事」は同義だと思っています
なぜなら立派に生きなければ立派に死ねないし、死がこないならば、それも生きているとは言い難いからです
私は更科さんはアオサギの死から自然の厳しさとアオサギが必死に生きて生きて生き抜いたであろう事を想像して描いたのではと思うのです
そして、アオサギは死んでしまったが、私たちもアオサギのような死を迎える為にも「生きて生きて生き抜こう」と

更科さんの詩世界に一貫して見られる「生」を
蒼鷺では「死」を通して描いているんだと私は思っています

Re: やっぱりアオサギは死んだのでは投稿者:まつ@管理人投稿日:2013/01/30(Wed) 22:34No.279
梨さん、はじめまして。
死をポジティブに捉える梨さんの解釈は新鮮でなるほどなと思いました。この詩でアオサギが死ぬと解釈する人は、多くの場合、自然に打ち負かされ力尽きたアオサギをイメージすると思います。それだと作者の他の詩との一貫性がなくなるのですね。それに、彼をとりまく諸々の状況を考えても不自然ですし。私の思考はそこで止まっていたので、死をポジティブに捉えるという発想がありませんでした。梨さんの解釈だと、そうした矛盾もなくすっきり読めますね。

さて、冬の北海道にアオサギがいるのかというご質問ですが、ごく限られた越冬地にわずかに残るのがいるくらいで、ほとんどは南の地方に渡ってしまいます。作者がこの詩で描いたと思われる北海道東部に、もし厳冬期にアオサギがいたとすれば、それはかなり特殊なケースです。

一般的には、北海道にアオサギが渡ってくるのは3月の初め頃になります。3月初旬といえば、春の兆しを感じる日はあっても、辺りはまだまだ一面の雪と氷。普通の感覚で言えば季節は冬です。もしかしたら、作者はその時期の情景を描いたのかもしれません。ただ、この詩はいわゆる象徴詩ですから、事実を反映しているかどうかにはそれほど拘らなくてもいいように思います。

ところで、梨さんの意見ではじめて気付いたのですが、「奥の底から魂がはばたくまで」という箇所は、人によって正反対の意味で捉えられるのですね。アオサギが死ぬと考える人には、「魂がはばたく」ことは昇天を意味しているのでしょう。一方、私はそうは考えませんでした。だからこそ私はこれまでアオサギの死をイメージできなかったのだと思います。私のイメージでは、「魂がはばたく」とは、本当になすべきことをする、またそれができる季節が到来するということであり、それは他でもなくアオサギの季節、春ということになるのです。その時が来るまで過酷な状況をひたすら堪え忍び、頑として動かない、そんなアオサギが描かれているように私には思えるのです。

私がこの詩をはじめて読んだのは10年以上前でしたが、これまでに何度も違った解釈をしています。もしかしたら、そのうち梨さんの解釈がいちばんしっくりくると感じるようになるかもしれません。いずれにしても、詩自体はとてもシンプル。それだけに読み手次第でさまざまな捉え方ができます。自由度の高い詩なんだなと思いますよ。
Re: やっぱりアオサギは死んだのでは投稿者:まつ@管理人投稿日:2013/02/03(Sun) 11:28No.280
ついでにもう一点だけ、私がこの詩がアオサギの死を意味するものではないと考える理由を書いておきます。問題となるのは「奥の底から魂がはばたくまで」のところです。ここで「魂がはばたく」の意味がふた通りにとれることは前に書きました。注目したいのは、この魂が「奥の底から」はばたくものだということです。奥の底というのは暗くて狭い、そうとうにネガティブなイメージです。もし、魂がそこから脱出して死後にその苦しみから開放されるという意味で書かれたのだとすれば、作者は人生そのものを「奥の底」と言っていることになり、自虐的なほどに人生を悲観していると考えざるをえません。しかし、彼の他の作品を読む限り、現世を悲観し、来世に安寧を求めるというような雰囲気は少しも見られないのです。そうであれば、「奥の底」の解釈は別のものでなければならないのではないかと。私はそれを冬と考えます。そして、春になればその魂ははばたくのです。

前に書いたようにこの詩は極めてシンプルな構成です。枝葉を切り捨てると、この詩にあるのは冬とアオサギだけです。そして、アオサギが動かないことがこの詩を特徴づけています。この詩に死をイメージする人は、アオサギが動かないことに尋常でないものを感じるのだと思います。しかし、アオサギは本来、そんなに動かないものです。何もしないときは本当に置物のように微動だにしません。他の鳥と比べると動かないことが特徴だともいえるかもしれません。詩の最後の4行、「痩せほそり風にけづられ 許さぬ枯骨となり 凍った青い影となり 動かぬ」というのは、大袈裟な表現は使っているものの、これが冬に凍原に立ち尽くすアオサギを見たときの率直な印象です。それが彼ら本来の姿であり、そこにとりたてて死をイメージする必要はありません。

昨日、札幌近郊で越冬するアオサギを見ながら、ふとこの詩が頭に浮かんだので、余計なこととは思いつつ、またあれこれ書いてみました。
はじめまして投稿者:bluebird投稿日:2011/11/06(Sun) 12:55No.217

初めまして。
今度合唱コンクールの審査員をすることになり、
今、蒼鷺のレポートを必死になって書いています。
だケド蒼鷺の聴かせどころが分かりません(ーー゛)

教えてください!!

Re: はじめまして投稿者:ハヤ太くん投稿日:2011/11/06(Sun) 14:15No.218
僕は
胸毛のとこから熱情か
ってとこが一番大事だと思います!!

だと思います!!←
Re: はじめまして投稿者:もんち投稿日:2011/11/07(Mon) 16:57No.219
あたしも
胸毛のところは大事だとおもいますよ。
それと だが青鷺は動かぬからも結構大事だとおもいます。
レポート頑張ってください!
Re: はじめまして投稿者:まつ@管理人投稿日:2011/11/07(Mon) 18:25No.221
bluebirdさん、はじめまして。
私は曲そのものをほとんど聞いていないので音楽については何とも言えませんが、詩の音楽的な要素については、2011/07/17の私の投稿にいくらか参考になることを書いています。下記ページに保存していますのでよろしければご覧下さい。
「合唱曲『蒼鷺』」 ⇒ https://www.grey-heron.net/forum/58-chorus/
無題投稿者:ハヤ太くん投稿日:2011/11/05(Sat) 21:21No.214

エゾハンノキの青い影と
蒼鷺の凍った青い影は
なんか関係はあるんですか?

Re: 無題投稿者:まつ@管理人投稿日:2011/11/05(Sat) 22:26No.215
なるほど、「青い影」は二度使われているんですね。これは気付きませんでした。
最初の「青い影」は何も考えずに読むと「蝦夷榛」の影のように思いますが、もしかしたらその後に書かれている「蒼鷺」の影を言っているのかもしれませんね。まあ、いずれの影にせよ、「青い」と表現することで冷たく寂しい影であることが示されているだけで、それ以上の意図は無いように思います。同じ言葉を二度使うことでトリッキーな表現を狙うような作為的な詩だとも思えませんし、おそらく蝦夷榛にしても蒼鷺にしてもその影が青く感じられたから青い影としただけで、それがたまたま2ヶ所で同じように表現されただけなのではないでしょうか。

前回も書きましたが、この詩はあまり細部に拘って言葉を詮索すると余計に分からなくなってしまいます。「木を見て森を見ず」になるわけです。まずは詩に描かれた状況をありありと想像できるようになることが大切です。もっとも、描かれた状況が単純なので、これをリアルに思い描こうとするとけっこう大変な作業になります。ただ、それさえクリアできれば、作者の世界には意外とスムーズに入ってゆけます。

ひとつ、ハヤタさんへの提案です。いろいろ疑問を書かれるのは構わないのですが、分からない部分をぽつんと書いただけでは、ここを読む皆さんもなかなかお返事の書きようが無いと思います。自分はこう思う、こう考えるというのを合わせて書いていただければ、より建設的な意見が返ってくると思いますよ。
Re: 無題投稿者:ハヤ太くん投稿日:2011/11/05(Sat) 22:50No.216
了解です!
深く探らないようにします!

おうおう、
次から気をつけます(・ω・´)
無題投稿者:ハヤ太くん投稿日:2011/11/04(Fri) 22:16No.210

再び現れました!

えと、
蒼鷺はなんで動こうとしないんですか?

何がそうさせてるんですか?

Re: 無題投稿者:まつ@管理人投稿日:2011/11/05(Sat) 07:42No.211
ハヤ太さん、おはようございます。
アオサギは四六時中餌を食べつづける鳥ではないので、餌を探していないときはじっとしているのが普通です。詩では動かないことがやや誇張されて表現されていますが、動かないこと自体は異常なことではありません。

なぜアオサギが動かないことが強調されているのかについては、これまで何度も繰り返しご質問が寄せられており、その都度、様々なお答えをしてきました。それらについては、「合唱曲『蒼鷺』」のページに残してあるので、同ページで「動かない」の語を検索して探してみてください。2011年10月4日、同7月17日、2010年10月3日、2009年9月18日あたりに多少参考になる内容があるかと思います。

余談ですが、この詩は作者の思いを中途半端に詮索しようとすると余計に分からなくなってしまいます。それよりは、アオサギが動かないという情景をリアルに思い描くことに集中したほうが、詩そのものを理解するにははるかに効果的です。その情景をよく飲み込んだ上で改めて作者の思いを想像してみてください。その順番を逆にすると、理解できない難しい詩で終わってしまいます。
Re: 無題投稿者:ハヤ太くん投稿日:2011/11/05(Sat) 08:02No.213
ありがとうございます!!

見てみます!!!
無題投稿者:奈津穂投稿日:2011/11/03(Thu) 20:50No.207

今年の合唱コンクールで、蒼鷺を歌わせていただきました。結果は…最優秀賞で、グランプリをもらいました!!
今年は3年連続最優秀賞がかかっていたし、何より私たちにとって最後の合唱コンクールだったので、すごく曲選びには迷いました。特に私は指揮者なので、たくさんたくさん曲を聞きました。そんな中で出会ったのが、「青鷺」でした。
この曲を始めて聞いた時は、もう鳥肌が立って、今すぐにでも歌いたいという気持ちでいっぱいでした。音楽の先生には、「難しい曲だから…。」と言われていましたが、クラスのみんなと話し合い、蒼鷺をうたうことにしました。
気持ちを込めるところ、強弱の対比をはっきりさせるところ、リズムの緩急をつけるところなど、さまざまな点で苦労しました。時には、クラス内分裂とかあって、もう、本当にやめたくなる時もありましたが、伴奏の子や、友達の支えもあって、なんとか完成させることが出来ました。
本番の、あの美しい青鷺は一生忘れません。蒼鷺ありがとう、みんなありがとう!!

Re: 無題投稿者:ハヤ太くん投稿日:2011/11/05(Sat) 08:00No.212

お疲れ様です!!

僕も最優秀賞とれるように
がんばります!!
無題投稿者:ハヤ太くん投稿日:2011/11/03(Thu) 10:07No.205

許さぬ枯骨となり
ってどういう意味ですか??

Re: 無題投稿者:まつ@管理人投稿日:2011/11/03(Thu) 13:43No.206
ハヤ太さん、こんにちは。
枯骨は死人の骨、許さぬは「打ち解けない」、「易々と懐柔されない」、「頑迷な」などの意味があります。
下記ページの2010年10月3日の記事に多少詳しく書いているので参考にしてみてください。他にもいろいろ書いてありますので、同ページ上で「許さぬ枯骨」で検索してみてください。
「合唱曲『蒼鷺』」 ⇒ https://www.grey-heron.net/forum/58-chorus/
Re: 無題投稿者:ハヤ太くん投稿日:2011/11/03(Thu) 21:21No.208
ほぇぇ☆  

また度々現れます!!(・ω・)
ご連絡投稿者:まつ@管理人投稿日:2011/11/01(Tue) 08:00No.204

2011/10/31(Mon) 21:09に携帯から投稿された方へ
お名前と投稿内容が全て文字化けしていたため削除いたしました。原因はよく分かりませんが、携帯のjigブラウザから投稿された場合は文字化けすることがあるようです。よろしければ、別の手段でもう一度投稿していただければ幸いです。

無題投稿者:もんち投稿日:2011/10/30(Sun) 15:01No.201

みほこさん、ソプラノ S氏さん お疲れ様でした。
蒼鷺 サイコォォォォォォォ!!!

無題投稿者:みほこ投稿日:2011/10/28(Fri) 19:08No.191

明日は合唱祭です!

何がなんでも蒼鷺で最優秀賞とります!

Re: 無題投稿者:ソプラノ S氏投稿日:2011/10/28(Fri) 23:58No.193
私も明日合唱祭です。
一緒に蒼鷺を歌うもの同士
がんばりましょう!
最優秀賞是非とってください!
Re: 無題投稿者:もんち投稿日:2011/10/29(Sat) 18:43No.195
どうでしたか??
合唱コンは。
結果楽しみにしてます!!
Re: 無題投稿者:みほこ投稿日:2011/10/29(Sat) 19:36No.197
結果は2組中2位でした

でも、保護者の人たちが
その審査おかしい、3Aが最優秀賞だべ~
と言ってくれました

もんちさんすいません!
Re: 無題投稿者:ソプラノ S氏投稿日:2011/10/29(Sat) 21:39No.198
ソプラノパートリーダーとしてお疲れ様!
風邪引いてもがんばってくれてありがとう。
風邪引いたのは悪くないよ。
自分を責めないでね。
みほちゃん本当にありがとうね。
最優秀賞は3Aだったはずだよね。
結果は現実だけど、本当に最高だった。
ありがとう。

By クラス合唱委員SAKI☆
Re: 無題投稿者:みほこ投稿日:2011/10/29(Sat) 22:28No.199
さきちゃーん(泣)
ほんっとありがどう!!
また泣けてきたわww
さきちゃんとおんなじクラスでよかった。

絶対3Aのほうがよかったよね
そう思うしかない!!

いままで合唱委員長お疲れ様!!
ほんとにありがとう

ダイスキ♥
Re: 無題投稿者:もんち投稿日:2011/10/30(Sun) 14:56No.200
お疲れ様でした。
私たちも号泣しましたよ。集合写真の顔なんて
酷いもんですよ。
うちらも 審査員絶対おかしいよ!!って言いました!!
蒼鷺最強ですね、やっぱり♪
蒼鷺に万歳ですww
無題投稿者:もんち投稿日:2011/10/26(Wed) 19:54No.184

今日は合唱コンクールでした。
2位です!! 2クラス中の…2位です…
でも みなさんのアドバイスのおかげで
今までで1番いい 青鷺 を歌うことができました。
ありがとうございました。
これからは アドバイス側にまわろうかと思っています。
よろしくお願いします☆彡

Re: 無題投稿者:まつ@管理人投稿日:2011/10/26(Wed) 22:54No.185
2位、おめでとうございます!? 他の人の客観的な評価より、自分たちが最高の歌が歌えたと感じることができればそれが何よりだと思いますよ。

それから、今年はもんちさんをはじめ多くの方に書き込んでいただき本当に感謝しています。この掲示板を始めてかれこれ7、8年前になりますが、「掲示板らしく」なったのは今回がはじめてでした。みほこさんもテノールさんもありがとうございます。
Re: 無題投稿者:もんち投稿日:2011/10/28(Fri) 16:17No.190
ありがとうございます。
この掲示板の方々には本当に本当にお世話になりました。

これからもっと 掲示板らしくしていきましょう!!
もちろん私も参加しますよ♪(´A`)/ 
Re: 無題投稿者:みほこ投稿日:2011/10/28(Fri) 19:43No.192
今まで合唱練習おつかれさまでした!

もんちさんの分も明日
がんばります!
合唱コン投稿者:テノール投稿日:2011/10/27(Thu) 17:26No.186

合唱コン最優秀をとることができました。(7クラス中)
ありがとうございました。

Re: 合唱コン投稿者:まつ@管理人投稿日:2011/10/27(Thu) 23:02No.188
おお、やりましたね。おめでとうございます。
テノールさんのアドバイス、皆さんもぜひご参考に!
Re: 合唱コン投稿者:もんち投稿日:2011/10/28(Fri) 16:08No.189
凄いです!!
尊敬します。7クラス中の最優秀賞って…。
本当に本当におめでとうございます。
私たちは 時の旅人 にまけてしまいました。
テノールさんのアドバイスはホンッと役に立ちました。
ありがとうございました。
おかげで最高の合唱コンになりました。

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