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無題投稿者:めぐみ投稿日:2010/10/16(Sat) 15:48No.98

こんにちは。
今月末にある学芸祭で私のクラスは蒼鷺を歌います。図書館で更科源蔵さんの詩集、「凍原の歌」を読んだり、このページを参考にさせて頂いたりして、だいぶ理解ができているかと思いますが、どうもうまく気持ちが込められません。
どうすればうまく気持ちが込められますか?

Re: 無題投稿者:まつ@管理人投稿日:2010/10/16(Sat) 21:35No.99
めぐみさん、こんばんは。
当ページが多少なりとも参考になっているようで良かったです。

さて、どうしたら歌に気持ちが込められるかというご質問、これは難しいですね。おそらく、詩の中に共感できる部分があれば、自ずと気持ちも込められるのでしょうけど、若い方でこの詩のような状況を経験している人はそんなにいないと思います。であれば、もう想像するしかありません。

知識をいくら得ても「蒼鷺」の心までは分かりません。それを知ろうとすればどうしても想像力が必要になります。もし、この「蒼鷺」がすでに確立されたイメージを持っているなら、想像力を働かせる余地はありません。知識を寄せ集めるだけで「蒼鷺」の全てを理解することが可能でしょう。けれども、幸いにして、これは詩ですから、これが正解という「蒼鷺」はありません。誰もが自分なりの「蒼鷺」を思い浮かべて、その「蒼鷺」に共感する自由が与えられています。想像力を無限に働かせて、めぐみさんオリジナルの「蒼鷺」のイメージを作ってみてはいかがでしょう?
Re: 無題投稿者:めぐみ投稿日:2010/10/17(Sun) 17:17No.100
お返事ありがとうございました。

そうですね、共感はできません…。

私は「蒼鷺」は、希望に満ちた鳥(人…ですね)のイメージを持っています。だから、この曲を歌っていると、なんだか心が暖かくなったように感じるのです。
卒業を控えている私たちにとって、すごく大切な何かを教えてくれている気がしてます。
個人的には好きな曲なので、大事に歌いたいです。
Re: 無題投稿者:まつ@管理人投稿日:2010/10/17(Sun) 22:45No.101
この詩は読む人によって解釈がずいぶん異なると思います。つまり、それだけ詩自体の包容力が大きいということなのでしょう。詩のほうで読み方を限定しないために、その部分をどう想像するかで、大袈裟に言えばその人の心が映されてしまう、鏡のような詩と言えるのかもしれません。

めぐみさんはしっかりしたご自分の「蒼鷺」のイメージをお持ちのようですし、きっと素晴らしい歌になることでしょう。私もめぐみさんのお陰で新たな視点でこの詩を読み直すことができました。ありがとうございました。
歌うときのポイント投稿者:Jupiter投稿日:2010/09/30(Thu) 22:43No.95

私は学校の合唱祭で青鷺を歌うことになりました(ちなみに私はアルトです)。合唱祭まではあと一カ月ちょっとあるのですが、なかなか練習がうまくいっていません…。それに、曲の解釈や合唱も難しくて…。
なにか合唱の際に気をつけるべきポイントがあれば教えてください。あと、歌詞の解釈について、さらに詳しく教えていただけるとありがたいです。

Re: 歌うときのポイント投稿者:まつ@管理人投稿日:2010/10/03(Sun) 19:53No.97
Jupiterさん、こんばんは。
「合唱の際に気をつけるポイント」のほうは私には分からないのでスルーするとして(どなたかアドバイスを!)、詩の解釈については、下の( *`ω´)さんやそれに続いて私が書いたものを参考にしていただければと思います。もちろん詩ですから解釈に正解は無く、私が書いたものは私の解釈でしかありません。ただ、このような掲示板を開設している手前、ここに何か書き込むたびに繰り返し詩を読み直しています。何度も読み返しあれこれ書いてきたので、少しはまともな理解に近付いているかなとは思います。なかなか取っつきにくい詩ですけど、それだけに奥の深い内容です。何度も読めば、きっとJupiterさんなりの解釈ができると思いますよ。
こうとらえればいいとおもう投稿者:( *`ω´) 投稿日:2010/09/29(Wed) 22:48No.94

この曲を合唱で歌うことになったのですが、詩の意味を調べる宿題があったのですが、僕がこの詩で感じたのは、一見蒼鷺は「動かぬ」の所で死んだように思えますが、そこは、動か無いんじゃなくて、動けないんだと解釈しました。何故なら蒼鷺は、つぎの「奥の底から魂がはばたくまで」という所で、蒼鷺は魂がはばたくまで死なない、死ぬわけにはいかない。と言う解釈をしました。
あと、「枯骨」と言う意味なんですが、辞書には、死人の骨と書いてあり、「許さぬ枯骨となり」と言っているので、死んではいないと言う解釈がとれます。その事から蒼鷺が死にそうだけど、生きる為に耐えぬこうとする懸命な姿が浮かんで来ます。
少なくとも、この歌は蒼鷺が、寒い所で生きる為に自然に耐え抜く姿を表現した歌だと思うので、歌う方もその力強さを考えて歌えばいい歌になると思います。
長々とすみませんでした。

Re: こうとらえればいいとおもう投稿者:まつ@管理人投稿日:2010/10/03(Sun) 19:46No.96
( *`ω´) さん、こんばんは。
そうですね。私も( *`ω´) さんの解釈に大筋で賛成です。この詩はアオサギが死ぬと解釈するのと生きると解釈するのとで詩の意味するところが決定的に違ってきます。私は( *`ω´) さんと同じく、アオサギは生き延びるという説をとります。この詩がアオサギが死にゆく場面の描写だと考える人は、アオサギが「動かぬ」という部分をその拠り所としているのでしょう。けれども、アオサギそのものをよく知っている人であれば、アオサギが動かないことに何の不思議も感じないはずです。ちょこちょこ忙しく動き回るアオサギはいません。おそらく、作者が「動かぬ」ものとして描いたアオサギは、写真のような姿勢で佇んでいると考えてまず間違いないはずです(もっとも、詩中のアオサギは1羽でいるところが想定されますが)。この姿勢をとって休んでいるアオサギは滅多なことでは動かず、何時間でもこのままの状態でいます。アオサギの場合、「動かぬ」ことは決して死に関連づけられるものではなく、アオサギが本来もっている特性のひとつなのです。

たしかに、詩の終わりのほうの「痩せほそり風にけづられ 許さぬ枯骨となり 凍った青い影となり」という部分は、一節ごとにアオサギの存在が極限まで希薄化されてゆき、死にゆくアオサギの姿を彷彿とさせます。けれども、その行き着くところは死とイコールではありません。この詩に描かれるアオサギの肉体の消滅は、単に「動かぬ」ことの時間経過を視覚的に表現したものに過ぎないと私は考えています。そういう観点で考えれば、この詩でアオサギの生死を云々すること自体、意味の無いことだとも言えます。この詩で詩人がもっとも強く表現しているのは「動かぬ」もの。そして、それはアオサギそのものではなく、「奥の底から」はばたくその時を待っている魂のはずです。そこに焦点を当てれば、あるいはアオサギの生死の問題に惑わされることなく、もっと素直な読み方ができるのかなとも思います。

ただし、だからと言ってこの詩でアオサギの存在が蔑ろにされて良いわけではありません。アオサギが「動かぬ」という状態をシンボリックに体現できる存在であるからこそ、作者は「動かぬ」魂への思いをアオサギの姿を通して的確に表現しえたのです。それに、アオサギがどうでもよくなれば、この掲示板の存在意義も無くなりますしね。

ついでに細かいことですが、「許さぬ枯骨」の意味について私の解釈を書いておきます。枯骨という単語は( *`ω´)さんが書いているように死人の骨ということで間違いありません。ただ、「許さぬ」という語は枯骨であることを否定するものではなく、単純に枯骨にかかる形容詞のはずです。おそらく「打ち解けない」とか「易々と懐柔されない」とか「頑迷な」とかいうほどの意味でしょう。これらの意味をそのまま言葉として当てはめてもしっくりこないかもしれませんが、なんとなく雰囲気は分かってもらえるかと思います。
気になること投稿者:よう投稿日:2010/01/14(Thu) 22:22No.92

はじめまして。

合唱でこの歌を歌うことになって、意味を考えている真っ最中です。

一度この詩を読むと単純に考えてしまえば蒼鷺は死んでしまったと思えてしまいます。
けれど、ここで簡単に死んでしまっては詩として何か足りません。

作詞者の更科源蔵さんを知ってみると、
北海道の開拓民で何キロも先の学校へ通い、動物の観察もよくしていたということです。
だからこそこの蒼鷺をかけたのではないかということですが、
蒼鷺は北海道では夏鳥で、冬は冬越えの為に南下します。
この詩は冬の詩です。
ここで違和感を感じました。
夏鳥である蒼鷺が冬の北海道にとどまっているのか?と考えると気になって仕方がありません。

みなさんはどう考えますか?

Re: 気になること投稿者:まつ@管理人投稿日:2010/01/15(Fri) 01:34No.93
ようさん、はじめまして。
詩というのは読む人によって全く違う内容になる、そこが面白いのでしょうね。私はこの詩の蒼鷺は死んだというふうには理解しませんでした。けれども、「単純に考えてしまえば蒼鷺は死んでしまったと」というようさんの文を意識してもう一度読み返してみると、なるほど確かにそうですね。文字だけを追いかければ、最後の5、6行あたりはもうほとんど生命が感じられません。

けれども、私はやはり、この詩は蒼鷺が生きてこその詩だと思うのです。なぜそう思うのかは自分でもうまく説明できません。ひどく漠然とした言い方をすると、この詩のもつ雰囲気が蒼鷺が死ぬことを許さないからです。峻厳で激しく熱いものを秘めた蒼鷺。そんな蒼鷺に絶望という結末を想像するのはかなり難しい、と私は思うのです。もちろん、穿った見方をすれば、それでも蒼鷺は死ぬのだと想像できないことはありません。しかし、作者がこの状況を人間社会でなく自然界に設定しているということを考えれば、斜に構えず素直な捉え方で良いのではないでしょうか。

さて、もうひとつ。冬の北海道にアオサギがいるのかという点。たまたま私が北海道にいるので、これについては少しまともに説明できるかと思います。結論から言うと、冬の北海道でもアオサギはいます。もっとも、いるとは言えごく少数が残っているに過ぎず、ほとんどは本州以南に渡ってしまいます。作者が見ていたのはそのわずかに残った越冬アオサギだったのかもしれません。ただ、これは現在の話。ここ数十年でアオサギが急激に増えたことを思えば、更科源蔵さんがこの詩を書いた頃は、アオサギはそれほどよく見かけられる鳥ではなかったと思われます。まして越冬する個体はほとんどいなかったのではと想像します。

では、このアオサギは虚構なのかと言えば、さにあらず。私は春先に南から渡ってきたアオサギの描写ではないかと思っています。北海道では、アオサギの第一陣は3月の始めにやってきます。その頃の北海道はまだまだ冬の様相を色濃く残しており、詩の情景として何の違和感もありません。ただ、詩の内容を細かく見れば、飛来間もないアオサギの描写にしてはやや不自然なところもあります。が、まあそこまで詮索するのは野暮でしょう。これは観察記録ではなくて詩なのですから。たとえ完全な虚構だとしても何の問題もないですよ。

ということで、スッキリしたでしょうか?
知ってほしい。投稿者:まりな投稿日:2009/10/23(Fri) 18:37No.79

私も、文化祭で「蒼鷺」を歌います。
今年は中学3年生で、最後の合唱祭。
皆、とても気合が入っています。

しかし、蒼鷺はとても難しく、苦労しています。

私のクラスは、男子の声がすごくよくて、先生方に
いつも褒めてもらっています。
特にバスパートが上手で、本当にすごいです。
しかし、それに比べてソプラノの声が小さく、声量の
バランスが悪いと言われます。
それと、全体的に子音の音が聞こえにくいらしくて、
「ハーモニーはいいけど、何言ってるかわからん。」
と、言われてしまいました。


絶対に、後悔したくないんです!

私達のクラスにしか、
私達のクラスだから
歌える「蒼鷺」を歌いたいんです!

アドバイス、お願いします。

Re: 知ってほしい。投稿者:まつ@管理人投稿日:2009/10/25(Sun) 09:17No.82
まりなさん、こんにちは。
この掲示板を管理している、まつ@管理人です。じつは私、こんな掲示板を作っておきながら、曲自体は一度も聞いたことがないという不届き者でもあります。アオサギそのものに興味があるので、アオサギを描写した歌詞についてはいろいろ思うところもあるのですが…。合唱のほうはというとさっぱり分かりません。

というわけで、音楽に造詣が深い方、あるいは「蒼鷺」の経験者の方、まりなさんへのアドバイスよろしくお願いします。
合唱コンクールで歌います!投稿者:ssあttおoう投稿日:2009/10/15(Thu) 10:22No.78

耳毛ですよね~
胸毛ですよね~
深いですよね~

Re: 合唱コンクールで歌います!投稿者:投稿日:2009/10/23(Fri) 18:40No.81
ふざけてるんですか?
Re: 合唱コンクールで歌います!投稿者:dkr投稿日:2009/11/20(Fri) 21:55No.86

>まさん

ニコニコみろ
無題投稿者:まりな投稿日:2009/10/23(Fri) 18:40No.80

蒼鷺・・・・・

本当にいい曲ですよね。


何度も聞いてみてください。

歌詞を読んでみてください。

きっと、何かを感じるはずです。


みなさんに、蒼鷺を知ってほしい。

本当に、オススメです。

蒼鷺うたいま^s投稿者:MAX投稿日:2009/09/16(Wed) 21:33No.73

今年の合唱コンクールで蒼鷺を歌うことになりました!

それでよくわからないことがあったので質問します

歌詞の最後の連に「動かぬ」という言葉が出てきているのですが
歌詞からみて蒼鷺がなぜ動かないのか教えてください

Re: 蒼鷺うたいま^s投稿者:まつ@管理人投稿日:2009/09/18(Fri) 08:45No.74
MAXさん、こんにちは。
なんだか国語の試験問題のようですね。詩の解釈には正解もなにもないので、以下は私の勝手な解釈ということで書いてみます。

蒼鷺がなぜ動かないのか? というご質問。動けばこの詩は崩壊してしまいます。この詩は蒼鷺が「動かぬ」ことで詩として成り立っているのです。もっと言えば、蒼鷺そのものはこの詩の本質とは無関係で、「動かぬ」という状態が詩の主題なのです。この詩が個人的な思いを表現しているのか、自分を含む周囲の人々の思いを代弁しているのかは分かりません。いずれにしても作者はそれら人間の内に「動かぬ」ことの崇高さや「動かぬ」状態にあることの宿命といったものを読み取ったのだと思います。そして、そういった抽象的な概念を具現化したものが「動かぬ」蒼鷺というイメージなのです。

舌足らずな説明でしたが、いくらか参考になったでしょうか? 作者は「動かぬ」という言葉に秘めた思いを凍原に佇む蒼鷺に投影しました。ですから、蒼鷺のもつ雰囲気を知れば、作者の思いをもう少し深く理解できるようになるかもしれません。あとはMAXさんの想像力次第ですね。
蒼鷺★投稿者:莉茄☆城山投稿日:2009/08/08(Sat) 19:26No.68

うちっち㊥学校でも

蒼鷺★歌います!!

&夏休みの宿題で詩の解釈があるんです・・・

でも蒼鷺って

深い意味ありすぎで、

わかりません(A);

だれかぁぁぁ!!!

わたしに教えてください

おねがいします(^^)/

灯火さん//投稿者:莉茄☆城山投稿日:2009/08/08(Sat) 20:01No.69
灯火さん

もしかして、、、

同じ中学ですかね??

山の上にある

最近火事があった学校\(^^)/

違かったらスマソ。

お返事まって松★★

ちなみに☆おれんじ!!
Re: 蒼鷺★投稿者:まつ@管理人投稿日:2009/08/08(Sat) 21:01No.71
莉茄☆城山さん、こんにちは。
詩なんてものは人それぞれ勝手に解釈できるところに良さがあるのだと思いますよ。だから、先入観なしにこの詩を読んで、莉茄☆城山さんがどんなイメージを思い描いたか、どんな雰囲気を感じたか、それが一番大切なんじゃないかな、と。作者が意図したものと同じ解釈をする必要はないと思いますよ。
とはいえ、宿題ですし。困ったものですね。それに、合唱で歌ううとなると、皆があるていど同じイメージを共有していないとまともな歌にならないかもしれませんね。

ということで、この詩をどう解釈すれば良いかということですが、じつはこの質問、この掲示板にこれまで数多く寄せられていまして、皆さんや私がそれぞれ思い思いの解釈を書き込んでいます。その一部は当掲示板の次頁や過去ログにもありますし、古いものについては以下のページに保存しています。よろしければ参考にしてみて下さい。
「合唱曲「蒼鷺」」⇒ http://www.grey-heron.net/forum/58-chorus/

この合唱曲、ずいぶん人気があるようで、全国各地の学校で頻繁に歌われているようです。莉茄☆城山さんと同じように、夏休みの宿題で詩の解釈を課され悩んでいる人も多いのではないかと思います。まあ、悩みがいのある詩であることは確かですね。暑いさなか、極寒の地の蒼鷺を思い浮かべ、気分だけ涼しくなるのも悪くないですよ。
がんばってください。
ありがとうございました投稿者:莉茄☆城山投稿日:2009/08/09(Sun) 14:52No.72
詩の解釈(V)

がむばってみます!!

聞いてみて、

良かったと思います!

本当にありがとうございました。
どんな・・・?投稿者:灯火投稿日:2009/07/31(Fri) 17:43No.65

はじめまして!今度の文化祭で「蒼鷺」を歌う、中3です!
夏休みの宿題で詩の解釈あるんですが、先生に「人に例えて考えてみて。」と言われました・・
なかなか思いつかなくて、教えてください・・!!

Re: どんな・・・?投稿者:まつ@管理人投稿日:2009/08/03(Mon) 06:49No.66
灯火さん、はじめまして。
この詩は難しいですよ。詩の中の蒼鷺を人と読み替えてもあるていど意味は通じますが、その意味するところは簡単には理解できないと思います。この詩を理解するには、まず作者である更科源蔵の生きた時代と生まれ育った土地を知っておく必要があるでしょうね。彼は北海道がまだまだ未開の地であった頃、開拓民の子として北海道の弟子屈に生まれています。そして、後に原野の詩人と呼ばれたように、弟子屈の人や風物を強く意識した詩を書き続けました。ですから、この詩には当時の弟子屈の原野や、そこでの冬の過酷な人々の暮らしが色濃く反映されていると思うのです。それが実際どういうものであったのか、それは灯火さんの想像力次第ですね。

もうひとつ、この詩になぜイメージとしての蒼鷺が登場するのかということです。更科源蔵は「コタン生物記」などを書いていることからも分かるように、動植物に対しては人一倍強い興味を抱いていた人です。アオサギについてもおそらく十分な観察をしていたのでしょう。アオサギのもつ雰囲気やその周りに流れる時間、そうしたものが作者の人間や自己に対する洞察と共鳴したとき、この詩が生まれたのだと思います。
つまりは、この詩を理解しようとすれば、まずアオサギを理解しなければならないということですね。実物のアオサギをじっくり観察すれば、作者の思いのいくばくかはうかがい知れるかもしれません。
ありがとうございます!投稿者:灯火投稿日:2009/08/03(Mon) 21:25No.67
ありがとうございましたっ!
私の知らないことばっかりでした・・!
参考にして頑張ります!!
悩み…投稿者:マイケル投稿日:2008/11/02(Sun) 23:11No.58

僕も合唱コンで「蒼鷺」を歌うのですが、何か歌うときに注意したほうがいい点とかありますか?教えてください!

Re: 悩み…投稿者:おい投稿日:2008/11/19(Wed) 21:17No.62
僕はいま中2でこの歌を歌いました
やっぱり詩の意味を理解してから歌うとかわりますよ
聞かせどころ投稿者:なな★ありがとお(^O^)/♪投稿日:2008/10/23(Thu) 21:40No.55

11月に合唱コンクールがあるんですけど、
蒼鷺の一番の聞かせどころってどこだと思いますか?
ぜひ教えてください(>_<)!

Re: 聞かせどころ投稿者:ココ投稿日:2008/10/25(Sat) 18:50No.57
やっぱり「胸毛」から「熱情か」までではないでしょうか。でも個人的には、2カ所ある「動かぬ」のところが好きです。(「だが蒼鷺は だが蒼鷺は だが蒼鷺は 動かぬ」と「痩せ細り~」の後の「凍った青い影となり 動かぬ」のところ。
お互い頑張りましょう!!
ご報告投稿者:ww投稿日:2008/10/25(Sat) 18:46No.56

こんにちわw
昨日俺らの学校で蒼鷺うたいましたw
強弱をつけてうたえばw最高ですw
コンクールでは銅賞でしたが・・・
みなさんは頑張ってくださいw

蒼鷺の詩の解釈投稿者:ココ投稿日:2008/10/12(Sun) 08:56No.48

蒼鷺の詩は作詞者更級源蔵さんが「余命3ヶ月(?)」を宣告されてから作った詩で、枯骨となり痩せていく蒼鷺の頑固なまでに動こうとしない姿に自分の姿を重ねた…というようなことを音楽の先生から聞きましたが、本当でしょうか。そのようなことがはっきり分かるサイトなどありましたら教えてください

Re: 蒼鷺の詩の解釈投稿者:まつ@管理人投稿日:2008/10/13(Mon) 22:30No.49
ココさん、こんばんは。
正直なところ、その話が本当かどうか私はよく分かりません。

更科源蔵氏の詩「蒼鷺」は詩集「凍原の歌」に収録されています。この詩集は1943年、彼が39歳のときに刊行されたものです。一方、更科源蔵氏が亡くなったのは1985年、「蒼鷺」が書かれてから何十年も後のことです。
ただ、彼は19歳のときに吐血していますから、その時そういうことを宣告されてこの詩を書いたと考えれないこともないです。それを20年後に詩集に載せたと。
きちんとした根拠がないので、これ以上推測するのは止めますが、私は音楽の先生が言われたことは誰かの作り話のような気がします。また機会があればもう少し詳しく調べてみます。

なお、更科源蔵氏の略歴は下のサイトで見ることができますよ。
http://www.hokkaido.doyu.jp/kushiro/sarashina/c.htm
Re: 蒼鷺の詩の解釈投稿者:ココ投稿日:2008/10/14(Tue) 21:44No.50
ありがとうございました。すごく参考になりました。
詩の解釈ってすごく難しいですね。合唱をするたびに、毎回音楽で詩の解釈・想い(伝えたいこと)が宿題で出されます。国語の教科書ガイドのように、そういう本が出ていると助かるのですが…。
少し考えてみたのですが、誰かの作り話的かも知れませんが「余命を意識していた…」と考えるとなるほどなと納得できる部分もあります。その線で、がんばって宿題仕上げます!

- JoyfulNote -