アオサギを議論するページ

巣立ちヒナ数

残暑お見舞い申し上げます。まだまだ暑さ厳しいことと思いますが、皆さんいかがお過ごしでしょうか? ここ北海道は昨日あたりから朝晩がめっきり涼しくなりました。そろそろ秋の出番ですね。今年は夏が暑かったせいか、アオサギの繁殖シーズンがもうずいぶん前の事のように思われます。けれども、ついひと月ほど前まではまだコロニーでわいわいやっていたのですね。あのころ巣立っていった幼鳥は今頃どうしているでしょうか。

そんな当時のヒナたちが何羽ぐらい巣立ったのかというのを、先日、少しだけご紹介しました。場所は札幌近郊の江別コロニーで、1巣あたり2.8羽のヒナが巣立ったというものでした。今度は少し離れて旭川の嵐山コロニーです。結果から言うと、ここの巣立ちヒナ数も江別とまったく同じで2.8羽でした。環境もかなり違う両コロニーなのでもっと差が出るかと思っていたのですがこれは意外でした。同じ北海道でも、年によっては2羽が精いっぱいで3羽兄弟は皆無といった気の毒なコロニーがあったり、かと思えば、平均3.5羽ものヒナを巣立たせるとんでもなく繁殖力旺盛なコロニーもあったりします。そんな中で、この2.8羽というのはじつは北海道では平均的な数値なのです。

その嵐山コロニーの巣立ちヒナ数の内訳ですが、4羽兄弟が6巣、3羽が33巣、2羽が9巣、そしてひとりっ子が5巣でした。3羽兄弟が主流です。残念ながら、ここも江別と同じく5羽巣立たせたところはありませんでした。5羽のヒナを育てるというのはそうとう難しいことなのでしょうね。一方、途中で営巣を止め、ヒナが1羽も巣立たなかった巣もあります。嵐山の場合、観察できた59巣中、1割強の6巣が途中で失敗しています。じつは先ほどの2.8羽という平均値はこれら失敗した巣を勘定に入れてない値で、失敗巣を含めると2.5羽に下がります。江別のほうはまだ計算していませんが、おそらく同じような値になると思います。

ところで、この全体の1割という営巣放棄の割合はそれほど多いものではありません。ひどいところでは、これも道内ですが、放棄率がじつに8割を超えたこともあります。そういえば、先日、紹介した北米のオオアオサギの例では、巣立ちヒナ数が0.5羽(もちろん放棄した巣も入れて)ということでした。そういうのを思えば、1割ていどの放棄率で2.5羽ものヒナを巣立たせているコロニーというのはかなり恵まれた環境にあると言えるかもしれません。

数字ばかり書いてきたので最後に写真を一枚。右の写真は今回5羽いたひとりっ子のうちの1羽です。一人っきりで手持ちぶさたなのでちょっと口を開けてみたというところでしょうか。見たところ欠伸しているわけではなさそうですね。一見、まだ幼そうですが、これでもすでに巣を離れて外を歩き回っています。巣を離れはしたものの飛び回るにはまだ少し早いかなという段階です。じつはここの巣は初め4個の卵がありました。それがなぜか他の3卵は孵らず、このヒナだけが孵ったのです。だからこのヒナは最初からひとりっ子です。どことなくおっとりしていて物静かなのは、兄弟と争う機会が無かったからでしょうか。アオサギの兄弟間の争いの壮絶さは人間の世界の比ではないですからね。あれを体験するのと体験しないのとではその後の性格がずいぶん変わるような気がします。まあ、それはそれとして、兄弟げんかをしたヒナもそうでないヒナも、巣立った後は皆たくましく生きてほしいものです。

オオアオサギを巡る人々

前回、ここでオオアオサギのことを書きました。今回はそのつづきです。いつもアオサギに限って話題にしている当サイトですが、アオサギにそっくりなオオアオサギだけは他人事と思えずついつい話題にしてしまいます。アオサギのことしか眼中に無いという奇特な方もいらっしゃるかと思いますが、どうかご了承ください。

さて、今回話題にするオオアオサギは太平洋岸に分布する亜種のPacific Great Blue Heronです。前回書いたのと同じ亜種ですね。ただ、今回はオオアオサギそのものの話ではなく、オオアオサギに関心を寄せる人々のことを書いてみようと思います。どうも、彼らはオオアオサギに対して並々ならぬ思い入れを持っているようなのです。

当亜種の生息地であるバンクーバーやシアトル周辺には、オオアオサギの保護活動を精力的に行っているNPO等のグループがいくつもあります。そして、これらの団体のいくつかは、いわゆる自然や野生動植物一般を対象としてではなく、とくにオオアオサギを対象に活動しているのが特徴です。たとえば、シアトル近郊、レントンのコロニーを活動拠点にしているHerons Forever。この団体でびっくりするのは会員が600名もいること。さすがにそれだけ大所帯だと活動の規模も大きく、800万ドルもの資金を集めた上、コロニーとその周辺の土地、約24ヘクタールを丸ごと購入しています。こんなにしてもらったらオオアオサギも簡単にはコロニーを引き払えませんね。

それほど規模が大きくなくても同じような団体はあちこちにあります。たとえば、Heron Habitat Helpersというグループ。この団体はシアトル(そういえば、シアトルの市の鳥はオオアオサギです)の街中のコロニーを中心に幅広く活動している市民団体ですが、その活動の一環としてHeronCamを用いた面白い企画をやっています。HeronCamというのはHeron(サギ)のCam(カメラ)。つまり、巣の近くにあらかじめ設置しておいたビデオカメラでサギたちの子育ての様子を撮影するというものです。撮影された映像はネット上に生で流されており、常時、誰でも見ることができます。調べてみると、HeronCamはここ以外にも様々なグループや研究機関があちこちに設置しているようです。これは日本のアオサギコロニーでもぜひやってみたいものですね。今は繁殖期が終わってどのカメラも可動していないのが残念ですが、来春には再び動き始めるはずです。HeronCamで検索すればたぶんいくつも引っかかると思いますので興味のある方は探してみてください。

カナダのほうに行くと、チリワックというところにGreat Blue Heron Nature Reserveというそのままオオアオサギの名を冠したサンクチュアリがあります。写真を見るととてもきれいで穏やかな場所のようですね。ただし、ハクトウワシが来なければの話ですが。このサンクチュアリで興味深いのは”Adopt A Heron Nest”という企画です。何と訳せば良いのでしょうか、要は100ドル(追記:その後、料金は改定)払ってコロニーの中で自分が支援したい巣を決めるということのようです。もっとも、そうしたからといってその巣のオオアオサギが何か恩返しをしてくれるわけでもありませんし何も起こりません。ただ、単純に寄付をお願いしますというのよりはかなり気の利いたやり方かなと思います。いろいろ調べてみると、これはここだけの専売特許ではなく他でもやっているようです。Stanley Park Ecology Societyという団体がバンクーバーで行っている同様の企画では、料金は40ドルとさっきのところよりずっとリーズナブル。その上、自分が選んだ巣の子育ての状況をemailで連絡してくれたり、コロニーについての報告書ももらえたり、コロニーの現地観察会に参加できたりと内容も盛りだくさんでお得です。

これらの地域では他にも多種多様な団体があって様々な活動をしています。民間だけでなく大学や国や州の研究機関も多様なプロジェクトを組み、それらがシステマティックに統合されて、オオアオサギただ一種のためだけに巨大な支援ネットワークができています。それらについても紹介できればと思いますが、長くなるので今回はとりあえずここまで。ともかく、オオアオサギの身辺が何かと騒がしい状況にあって、彼らを巡る人の動きはますます活発になっているようです。

オオアオサギの危機

アオサギの近縁種にオオアオサギという種がいます。外見はアオサギとほとんど変わりません。ただ、名前に「オオ」と付くだけあってアオサギよりひと回り大きめです。生息地である北米ではGreat Blue Heronと呼ばれています。一方、本家アオサギはご存知、Grey Heron。見た目が同じなのに、なぜ片方はblue(青)で片方はgrey(灰色)なのか、これは一考の余地がありそうです。

と、今回はそういう話ではなく、このオオアオサギが存亡の危機に瀕しているというお話です。オオアオサギというのは前述のとおり北米を中心に分布する種で、その個体数は10万から25万とされています。この数から見ても分かるように、種全体としてはとくに保全上の問題があるわけではありません。問題なのはこのうちの1万羽、バンクーバー、シアトル周辺の太平洋岸の一部地域にのみ生息するオオアオサです。北方で繁殖するオオアオサギは秋になれば南へ移動するのが普通です。しかし、ここのオオアオサギは周年同じ地域に定着し、また、他のオオアオサギ個体群と地域的に隔離されていることから亜種として区分されています。”Pacific Great Blue Heron”というのがこの亜種の名前です。和名にするとタイヘイヨウオオアオサギとでも言うのでしょうか。

じつはこのオオアオサギ、2年前に当サイトの「オオアオサギ」のページで紹介したことがあります。その内容はというと、巣立ちヒナ数が以前に比べて半分ほどに減少しており、コロニーも放棄されるものが目立つというものでした。そして、その危機的な状況はどうやらその後も続いているようなのです。問題はその原因。これについてはいろいろ調べてみたのですが、この件は当初から指摘されていたようにハクトウワシの捕食が相当強く影響していると見る人が多いようです。

今シーズンのはじめ、The Seattle Timesにオオアオサギに対するハクトウワシの影響を書いた記事が載りました。この記事ではワシントン州のレントン市のコロニーが取り上げられています。ここも相当な勢いで衰退しているコロニーのようで、2004年に360巣で営巣していたのが2009年には35巣から50巣ていどにまで減っています。この減少分の全てがワシのせいではないにしても、記事を読む限り、ワシによるダメージは相当なものだったことが伺われます。そして、残念なのは、ワシによるこうした被害は、このコロニーだけでなく、オオアオサギの当亜種が生息するワシントンとカナダのブリティッシュコロンビアの両州で広範囲に見られるということです。

もちろん、この地にワシが突然現れたわけではありません。サギもワシも大昔からそこに暮らしていたわけで、おそらく多かれ少なかれワシによるサギの捕食はあったと思われます。けれども、その多くは総体的に見ればバランスの取れた関係であり、片方が片方を生態系から駆逐してしまうようなものではなかったはずです。この点、オオアオサギの将来が真剣に悲観されるような現在の状況は特別です。では、最近になってワシがサギを執拗に襲いはじめたのは何故なのでしょうか?

理由のひとつとして、まず、ハクトウワシの個体数が1970年台以降、確実に増えてきたことが挙げられます。その昔、人類が化学物質の環境への影響について鈍感だったころ、ハクトウワシはDDTに汚染された餌を食べ、汚染された親鳥の産んだ卵は殻が薄くてすぐ割れていました。当然、ヒナは少数しか育ちません。1972年、この年、アメリカではDDTの使用が禁止されました。その後、ワシの個体数は急速に回復します。先の記事によると、ワシントン州のワシの個体数は1980年の時点で105羽。これが2005年には845羽になっています。まったく目を見張る増加です。一方、ワシの本来の生息場所は開発によってどんどん減少していきました。このため、もともとの生息地を追われたワシとサギは限られた環境に同所的に住まざるを得なくなり、これがワシの捕食を助長した面もあるようです。いずれにせよ、オオアオサギにしてみれば、身の回りの危険が年々増えていっている感じでしょう。

同じような状況は日本でも見られます。あちらのオオアオサギとハクトウワシの関係は、日本ではアオサギとオジロワシの関係に置き換えられます。そして、北海道の道東や道北地域では、近年、オジロワシがアオサギのコロニーを襲うところがしばしば目撃されているのです(たとえば2008年の名寄新聞の記事)。幸いなことに、北海道でのオジロワシの増加は北米のハクトウワシの増加ほど急激ではないため、アオサギへのダメージは今のところ限定的です。アオサギにしろオオアオサギにしろ環境の変化に対する順応性は非常に高い鳥ですから、状況の変化が緩やかであれば地域個体群全体としてはそれほど危機的な状況には陥らないのかもしれません。一方、オオアオサギが現在、目の当たりにしている環境の変化は、その環境適応力に優れた彼らにしても御し難いほどスピードが速いということなのでしょう。

先の記事中、サギを専門に研究してきたベネスランドさんは、現状ではひとつがい当たり平均1羽のヒナしか育てられておらず、これは個体群を維持するのにギリギリの状況だとオオアオサギの今後を憂慮しています。また、別の猛禽類の研究者は、この先数年間はサギとワシの関係は非常に際どいものになるだろうと予想しています。事態はオオアオサギにとってもハクトウワシにとってもかなり切迫したものとなっています。その現状の一端は次の資料を見てもらえれば多少イメージできるかもしれません。こちらのブログに書かれているのはバンクーバー市内の公園、こちらのビデオはビクトリア市街のやはり公園内での出来事です。御覧のようにハクトウワシがアオサギのコロニーを襲ったりヒナを連れ去ったりしています。ワシがサギを襲うという特別な事件が、この地域では人々が日常の中で普通に見かける出来事になっています。このような街中にオオアオサギがコロニーを作っているのも驚きですが、そんなところにまでハクトウワシが進出していることにもびっくりです。オオアオサギにとって、ワシのいない営巣場所を見つけるという選択肢はもはや残されていないと言っていいでしょう。何か他の手だてを考えなければなりません。ともかく、ここしばらくはオオアオサギにとって過酷な日々となりそうです。

けっこうハードな状況を書いてきたので最後は少し希望を持って終わりたいですね。ということで、鳥の賢さについての話です。カナダの科学者でルフェーブルさんという方がいます。この方が鳥のIQテストを考案したのだそうです(BBCNewsより)。それによると、アオサギ属というのは全鳥類の中でカラスやハヤブサに次いで高いIQをもっているんだとか。であれば、オオアオサギもこのぐらいの危機は乗り越えてくれるはず。彼らの手腕に期待しましょう。

闇夜の声

昔、私がアオサギとはじめて遭遇したのは、その姿ではなく声を通してでした。森の中を歩いていると、いきなり頭上低いところをギャッという甲高い声が横切ったのです。強烈なインパクトのある声でした。もしこれが人気のない暗闇で相手の正体を知らずに聞いた声だとすれば、心中穏やかではいられなかったかもしれません。

サギの声といえば、漱石の「吾輩は猫である」にちょっと気になる一節があります。小説の場面は、例のごとく苦沙弥先生の家に浮世離れしたいつもの連中が集まってたわいもない雑談をしているところ。ここで客の一人である寒月君が、ヴァイオリンを弾ける場所を求めて、夜中、ひとりで山に登ったときの体験談を披露します。寒月君、目的の場所に辿り着き、闇と静寂の中で一枚岩の上に腰を下ろして恍惚としています。

「こういう具合で、自他の区別もなくなって、生きているか死んでいるか方角のつかない時に、突然後ろの古沼の奥でギャーという声がした。…」
「いよいよ出たね」
「その声が遠く反響を起して満山の秋の梢を、野分と共に渡ったと思ったら、はっと我に帰った…」
(…中略…)
「それから、我に帰ってあたりを見渡すと、庚申山一面はしんとして、雨垂れほどの音もしない。はてな今の音は何だろうと考えた。人の声にしては鋭すぎるし、鳥の声にしては大きすぎるし、猿の声にしてはーーこの辺によもや猿はおるまい。何だろう? (…中略…)今考えてもあんな気味の悪かった事はないよ、東風君」

恐怖に怯えた寒月君は、このあと一目散に山を駆け降りることになります。もっとも、漱石はこれがサギの声だとはどこにも書いていません。もしかすると、キツネか何かのつもりだったのかもしれません。けれど、「人の声にしては鋭すぎるし、鳥の声にしては大きすぎる」というのは正にサギの声の特徴です。しかも、声が聞こえたのはいかにもサギがいそうな「小沼の奥」、ここはやはりサギのほうが相応しいと思うのです。どうしてこれがサギでなければならないか、それにはもうひとつ理由があります。どうも漱石は不気味なイメージを象徴する存在としてサギをみなしていた節があるのです。

漱石の別の小説「夢十夜」にサギの出てくる場面があります。サギが登場するのは怪談調に書かれた第三夜、ここではサギがまるで闇の使いでもあるかのように描かれています。

左右は青田である。路は細い。鷺の影が時々闇に差す。
「田圃へかかったね」と背中で云った。
「どうして解る」と顔を後ろへ振り向けるようにして聞いたら、
「だって鷺が鳴くじゃないか」と答えた。
すると鷺がはたして二声ほど鳴いた。

漱石に限らず、日本人のサギ、とくにアオサギに対する印象はいつも多少の不気味さを伴ったものであったようです。その辺りの詳しい考察は、以前、弘前大学の佐原さんが鳥学会で発表されたことがあります。発表のごく簡単な内容がこちらのページの「3. 西欧文学と日本文学におけるアオサギイメージの異同」で紹介されています。そこに書かれている「憂鬱」「暗鬱」「幽かな」、これらのイメージをアオサギに読み取る人は今でもまだ少なくないのではないでしょうか。

現代になってアオサギとこれらのイメージの関係は多少薄れてきたかもしれません。しかし、あの声に限って言えば、今でも私たちの想像力を十分掻き立てる魔力をもち続けているように思うのです。

青鷺の 声鳴き渡る 闇夜かな (舂鋤)

そういえば、怪談の季節なのでした。暑い夜、アオサギの声で涼んでみてはいかがでしょう?

ページの先頭に戻る