アオサギを議論するページ

四兄弟のその後

この2羽の兄弟は右側が雄、左側が雌です。頭部の見かけが違うのではっきり区別できますね。
というのは真っ赤な嘘で、アオサギの場合、雌雄はそんなに簡単に区別できません。この2羽も然り。けれども、どう見ても違いがあるように見えるのは何故なのでしょう?

じつはこの兄弟、前に「四兄弟の運命」というタイトルで一度紹介したことがあります。 あの記事を載せたとき、ヒナは生後2週目でした。そして、4羽のヒナのうち1羽がとくに小さかったのです。ヒナの体のサイズは生き延びる可能性を大きく左右します。小さなヒナは餌を巡る競争において圧倒的に不利なばかりか、大きなヒナから常に痛めつけられることになるからです。

左の写真は前回の記事から2週間ばかり後の様子です。ご覧のように、大きなヒナが3羽に小さなヒナが1羽。小さなヒナは大きな兄や姉たちに射すくめられ、実際に小さいのがますます萎縮している感じです。これはあまりに大きなハンディです。この小さなヒナに巣立ちまでのサバイバルレースを他の兄弟と同じ土俵で戦えというのは無理な話。初めから勝負になりません。仮に彼らの世界に、大きな兄や姉は小さな弟や妹の面倒を見るべきだとか、兄弟は助け合うべきとかいうような価値観があれば話は違ってきますが、そんな満ち足りた世界の倫理観を彼らが持っているはずがありません。親でさえいじめられているヒナを助けようとしないのがアオサギの世界の常態。写真のような状況で小さなヒナがどのような目に会うのかは容易に想像できます。

そしてさらに1週間後のヒナが右の写真です。手前が小さかったヒナ。体格の面では他のヒナにかなり追いついてきました。しかし、虐待の跡は生々しく残っています。頭部の羽毛はことごとくむしられ、地肌が見えるほどになっています。アオサギは相手を攻撃するとき、くちばしで頭部を突くのが最も一般的です。ヒナ同士にそれほど体格差がない場合は小突く程度で大事に至りませんが、体格に圧倒的な差のあるヒナの場合には、小さなヒナが受けるダメージはそうとうなものになります。最悪の場合、文字通り血みどろになるまで相手を突き、最終的には殺してしまうこともあるようです。幸いなことに、このヒナの場合は死に至るほどの深手は負わなかったようで、ぼろぼろになりながらも、何とかここまで持ちこたえることができたようです。

そして、この状態からさらにひと月ほど経ったヒナの様子が最初にお見せした写真なのです。どちらが小さかったヒナかはもうお分かりでしょう。頭部の羽毛はまだ本来の長さではないものの、完全に復活しきれいに生え揃っています。虐待があったのは遠い昔の話となり、大きな兄弟のうち2羽はすでに巣立ってしまいました。このヒナもここまで大きくなってしまえば、よほどのことが無い限り巣立ちまで障害になるものはありません。頭部の羽毛がさらに伸び、他のヒナと外見で見分けがつかなくなる頃には、このヒナもすでに巣立っていることでしょう。長生きしてほしいものです。

長寿記録

アオサギというのは大きな鳥で、その上、警戒心が強いためになかなか捕獲できません。以前、私は研究目的でアオサギに標識を付けようとしたことがありますが、数シーズンに渡ってあれこれやったにもかかわらず、捕まえられたのはたった1羽のみ。しかもその1羽も自分で捕まえたのではないという有り様でした。捕獲用の網を小川のほとりに設置し待機していた時に、縄張り争いをしていたアオサギの1羽が、隣接するふ化場の鳥除けの網にたまたまひかかったのです。

確実に捕獲するということであれば、コロニーで営巣木に登ってヒナを捕まえればいいのではと思うかもしれません。しかし、そうした場合、作業中のコロニーが大混乱になることは必至で、その間に小さなヒナがカラス等に捕食される恐れがあり、とてもできることではありません。そのようなことで、アオサギの捕獲はなかなか一筋縄ではゆかず、日本での捕獲例はこれまでごく少数に留まっているのが現状です。

ところが、そういった障害をどう克服しているのか分かりませんが、ヨーロッパのほうでは昔から相当な数のアオサギに脚輪をつけることに成功しています。あちらでは、ヨーロッパ全土を対象にEuropean Union for Bird Ringing(略称Euring)という団体が標識調査に関することを取り仕切っているようです。この組織のサイトを見ると、ヨーロッパでの標識調査がいかに大規模に行われているかを伺い知ることができます。

たとえば、アオサギの標識調査の結果(回収数)がこのページに載っています。ご覧のように、標識されたアオサギのうち、後に死体が回収されたり、再捕獲、あるいは標識が視認されたりした例がこれまでに16,644件もあるのです。日本だとちょっとがんばればその内容を全部記憶できるぐらいの件数しかないことを考えると、これは想像を絶する数値です。本当にどうやって捕まえているのでしょうね。

さて、ここに集められた膨大なデータですが、上述のサイトからは見ることができません。詳細を知りたい方やデータを何かの分析に用いたい方は同団体に問い合わせれば有償でデータを提供してくれるそうです。もちろん、他の鳥についても同じです。関心のある方は是非!

これで終わっては面白くないので、サイトの中から興味深いデータをひとつ紹介します。鳥の種別の長寿記録です。もちろん一番の興味はアオサギの寿命なのですが、その部分を見ると…、なんと35年と1ヶ月になっています。もちろんこれは最長記録なので、ほとんどのアオサギはもっとずっと若くして死んでしまうわけですが、それにしても35年も長生きするとは驚きました。

この35年という数値を見てまず思い出したのは、「ゴールドスミス動物誌」(オリヴァー・ゴールドスミス著 1774年)のアオサギの寿命に触れた一文です。これは以前、私が掲示板で紹介したことがあり、その記事を「アオサギフォーラム」の「寿命」のページに保存していますので、よろしければご覧になってください。

本の内容を再び抜粋してみます。

近ごろオランダで、州の総督の鷹につかまったサギの例によって、その長命がふたたび確認された。その鳥の片方の足には銀の薄板がつけられており、そこに刻んであった文字は、それがケルンの選帝侯の鷹に35年前につかまったものだということを伝えていた。

Euringのサイトに載っていたのもオランダの事例でした。ですから、これはもしかすると同じものを言っているのではないのかなと最初は思いました。ところが、よく見ると、Euringのサイトに記載されているアオサギは撃たれて死んだことになっているのですね。一方、ゴールドスミスが言及したアオサギは鷹狩りで鷹に捕まえられています。とすれば、このふたつの事例はどうも別物のようです。前にゴールドスミスの本を読んだときには35年というのは何かの勘違いだろうと思ったのですが、これはゴールドスミスさんに失礼でした。アオサギに対する見方がこれでまた少し変わりそうです。これまでは自然界では10年以上生きているアオサギはごくわずかで、20年以上などまずいないと思っていたのですが、実際は二十数歳、もしかしたら三十数歳なんていうアオサギが多くのアオサギの中にごく少数であるにしても何羽かいるかもしれないのですね。

アオサギがそれだけの年月を生き抜くのは大変なことです。普通、何歳ぐらいまで生きるものなのか、アオサギに近縁のオオアオサギについての報告があったので添付してみます。引用はOwen, D.F. 1959. Mortality of the Great Blue Heron as Shown by Banding Recoveries. The Auk. 76(4). 464-470.です。

表の上の段が年齢、下の段がその年齢で死んだオオアオサギの個体数になっています。ほとんどのオオアオサギは巣立って間もなく死んでしまうわけですね。これはアオサギでもまったく変わりません。長寿のアオサギは、最も過酷な1年目を生き抜いて、さらに20年、30年と生き続けるわけですから、これはもうあっぱれという他ありません。そんな古老のアオサギに是非一度お会いして話がしてみたいものです。実際は話をすることはおろか、そもそも、そのアオサギが3歳なのか30歳なのか見分けることすらできないのが残念ですが、それでも30歳のアオサギがこの世に存在するということが分かっただけでも心が豊かになった気分です。アオサギの世界がぐんと深みを増したような気がします。

Haiku

Haikuは読んで字のごとく俳句のこと、ただ日本語の俳句とはちょっと趣が異なるようですね。五七五のような語数、あるいは単語数の厳密な規定は無く、短い3行詩のような形になっていればOKのようです。
アオサギを詠んだものがないかなと思ってネットで探してみるといくつか出てきたのでご紹介。オオアオサギの句も混じっています。

single grey heron
flying overhead
then flies back again

とりあえず訳してみます。意訳でも何でもなく単語をそのままの訳しただけですが。

訳「一羽のアオサギ 頭上を飛ぶ そしてまた飛んで戻る」

私がこの句でイメージしたのは巣立ったばかりの幼鳥。物珍しげに人の頭上に飛来し、一瞥して元来た方へ戻って行くというシーンです。好奇心旺盛な幼鳥ならではの行動ですね。でも、たぶん作者が見た情景とは違うと思います。
この句は「Haiku in English」というサイトにあったものです。日本語の俳句でもそうですが、これが英語のHaikuになると良い句なの駄作なのかますます分かりません。

great blue heron stands
so quietly at pond’s edge
stalking big, fat frogs

訳「オオアオサギが立っている とても静かに池の縁に 大きな太った蛙を突き刺す」

これも同じサイトにあった句。方やアオサギ、方やオオアオサギというところを見ると、両方を同じ地域で目にすることはまずありませんから、別々の人が作った句なのでしょう。いずれにしても、どちらの句もサギの行動をそのまま詠んだ、ただそれだけのような気がします。

次の2句は「Bird Haiku Series」 というページにありました。

grey heron’s dance —
yellow bill and legs
change to deep orange

訳「アオサギのダンス 黄色のくちばしと脚 濃いオレンジ色に変わる」

ダンスは求愛ディスプレイ、そして色の変化は婚姻色のことでしょう。ただし、この色、ディスプレイしているうちにみるみる変わるものではありませんが。

snow on the ground —
a great blue heron, egg-shaped,
stands on one leg

訳「地面に雪 卵形のオオアオサギ 一本脚で立つ」

この情景はよく分かります。印象的な情景は洋の東西を問わないということですね。ただ、あの首をすくめて佇んでいる姿を卵形と表現したのは新鮮でした。

Haikuは英語圏だけのものではありません。たとえばフランス語でつくられた句。

le charme se rompt
au passage du camion
envol d’un héron

訳「魔法は解かれた トラックが横切る サギが飛び立つ」

au bord du canal
prend son vol héron cendré
nos reflets dans l’eau

訳「水路の縁から アオサギが飛ぶ 私たちの姿が水に映っている」

toujours de la pluie
l’eau s’attarde dans le pré
envol de hérons

訳「相変わらず雨 野原に水が残る アオサギが飛び立つ」

以上3句は「Kirikino ilargian」というサイトからです。この作者、飛び立つアオサギにずいぶんインスピレーションを掻き立てられる人ですね。

適当に探しただけなので、まじめに探せばもっとあるはずです。もしかしたら名句も隠れているかもしれません。

ところで、Haikuに季語はあるのかなと一瞬、疑問に思ったのですが、よく考えてみると愚問でした。モノや事象をひとつの季節に対応させるというのは、同じ地域、同じ文化的背景を持っていないと無理なんですね。そもそも季節が無い国だってあるのですから。

コロニーを2ヶ所追加

今回は北海道のローカルな話題です。
北海道に新たに2ヶ所コロニーが加わりました。と言っても、私が知らなかっただけなのですが…。

ひとつ目は新十津川のコロニーで、場所は留久貯水池のほとり、新十津川の町から徳富川を十数キロ上流へ遡ったところにあります。ここでの営巣の様子は、連絡を下さった方のブログ「雅やんの想い」に紹介されています。新十津川辺りを通ると水田でよくアオサギを見かけていましたが、こんなところにコロニーがあったのですね。ただ、新十津川周辺には砂川や江部乙などそう遠くない場所に別のコロニーがありますから、新十津川の水田にいるのが必ずしも今回のコロニーのサギというわけではないと思います。たぶん、これら3コロニーの餌場はかなり重複しているのでしょう。コロニーと餌場の位置関係も調べてみると面白そうです。私は現地を見ていないので正確な場所は分かりませんが、コロニーはおおよそ次の位置にあるようです。
新十津川コロニーの位置

もうひとつは士別市にあるコロニー。こちらは冬に友人がそれらしい巣を見たということで確かめてきました。最初、言われた場所はしんと静まっており、友人の見間違いだったかなと帰りかけたのですが、どうも仄かにアオサギのフンの匂いがするような気がして留まっていると、そのうち聞きなれた声が…。ちゃんと営巣していました。場所は士別市の市街地を東に少し外れたところ、道路脇の斜面にある林です(写真)。
士別コロニーの位置
林の中なので何巣ぐらいあるのか検討がつきませんが、ヒナの声などから判断してかなりあてずっぽうですが4、50巣というところでしょうか。ここは葉っぱが落ちた後に正確な巣数を数えることができればまたご報告します。

ところで、このコロニーで驚いたのは、これが最近できたものではないということ。近くに住んでいる農家の老夫婦にお話を聞いたところ、ここに移り住んだ50年ほど前にはすでにアオサギはいたということです。当時からここで営巣していたかどうかは分からないということでしたが、その当時、この辺りで他のコロニーは知られていないことから、たとえこの場所でなくとも少なくとも同地域で営巣していたのは確かだと思われます。

50年も前からということになると、このコロニーは天塩川沿いに点在するコロニー群の母体になっていたはず。そうなると、サロベツのコロニーを核として天塩川を遡るように分布が広がったとする従来の見方はできなくなります。どうも道北地方のアオサギの歴史は大幅に再検討する必要がありそうですね。道内のコロニー、とくに地域個体群の核となるような重要なコロニーは全て把握しているつもりでしたが、こんな重要なコロニーを見過ごしていたとは迂闊でした。さすがに北海道は広いです。

ここ数年はコロニーの現地調査や情報収集を精力的に行えていないため、当サイトに載せているコロニーの個別情報の中には現状を反映していない場合も少なからずあるかと思います。そんなわけですので、もし北海道のコロニーの一覧表に載っていないコロニーや最近消滅したコロニーをご存知の方がおられれば御一報いただけると大変有り難いです。どうかよろしくお願いします。

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