皆さん、明けましておめでとうございます。
今回はお正月らしく和歌で遊んでみたいと思います。初めは正月なので百人一首で何かできないかなと考えたのですが、どうも上手くゆかず…。目先を変えて萬葉集を眺めてみました。じつは萬葉集というのは4500を超える歌がありながら、その中に鷺を詠んだ歌はひとつも無いのです。他の鳥はそれなりに出てくるので、普通に見かけられる鳥だったはずの鷺がいないのはいよいよ不思議です。仕方がないので、集中の歌をこちらで無理やり鷺の歌に作り替えてみました。
まずは集中8番目に出てくる額田王のつくった歌のパロディ。
熟田津に あさりせむとて 月待てば 潮もかなひぬ 今は飛び出でな
一首の意は、伊予の熟田津でアオサギが採餌しようと海辺に佇んでいると、いよいよ月が出て潮も引き、採餌にちょうど良い条件が整った。さあ餌獲りを始めよう、というのです。月が出る頃と干潮の時間は一致するのかというところは疑問ですが、所詮パロディなので細かいところは気にしないで下さい。でもこれ、アオサギの採餌行動と月と潮の周期の関係がとてもビジュアルでダイナミックに捉えられていると思いませんか? それもこれも元の歌が素晴らしいからなのですが…。
元の歌: 熟田津(にぎたづ)に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は榜(こ)ぎ出でな 額田王 「萬葉集巻一」
実際は、月が出て満潮の頃合いになったということなのです。斎藤茂吉は「万葉秀歌」でこの歌を「月が満月でほがらかに潮も満潮でゆたかに、一首の声調大きくゆらいで、古今に稀なる秀歌として現出した」と評しています。歌も歌なら茂吉の文も文で、もう圧巻というほかありません。
干潟での採餌時の状況を詠んだ歌をもうひとつ。
若の浦に 潮満ち来れば 潟を無み 葦辺をさして 鷺鳴きわたる
この一首は、若の浦に潮が満ちてきて干潟が無くなり、そこで餌を獲っていたサギたちが鳴きながら葦原のほうへ引き上げていったという意味です。なんだかかなり理屈っぽい歌ですね。まるで行動生態学の論文でも読んでいるかのようです。
これは、元の歌で「鶴」だったところを「鷺」に変えただけのものです。
元の歌: 若の裏に 潮満ち来れば 潟(かた)を無(な)み 葦辺(あしべ)をさして 鶴(たづ)鳴きわたる 山部赤人 「萬葉集巻六」
萬葉集ではツルはこのように普通に出てきます。他の小さな鳥たちも当然のように出てきます。それなのに、なぜかサギは詠まれない、これは不思議です。もしかしたら当時の歌の世界では、ツルもサギも一把ひと絡げに「鶴(たづ)」にされていたのではないのでしょうか? 気になりますね。
さて、サギたちの餌場の情景が分かったところで、今度はコロニーの様子を詠んだ歌を探してみます。これも「萬葉集巻六」の山部赤人の歌に見つかりました。
み芳野の 象山の際の 木末には 幾許も騒ぐ 鷺のこゑかも
この歌の意味は単純で、芳野にある象山の木立の茂みからとても多くのサギの声が聞こえるという意味です。この歌も元の歌の「鳥のこゑ」を「鷺のこゑ」に変えただけです。けれども、私には鷺としたほうがいっそうよく雰囲気が出ているように感じるのですが。さらに、象山(きさやま)が鷺山(さぎやま、コロニーのこと)の音に似ていて、まさにサギのためにつくられた歌のような気もしてきます。
元の歌: み芳野(よしの)の 象山(きさやま)の際(ま)の 木末(こぬれ)には 幾許(ここだ)も騒ぐ 鳥のこゑかも 山部赤人 「萬葉集巻六」
ところで、萬葉集(といってもほんの一部ですが)を眺めていると、鳥が登場する場合、その大部分が「鳴く」や「声」といった語と一緒に出てきます。昔は、鳥というと視覚より聴覚に訴えるほうが強かったのでしょう。考えてみれば、視覚による認識が幅を利かせてきたのは、双眼鏡や望遠レンズ、ズーム機能といったものが一般的になったごく最近のことなのかもしれませんね。
とはいえ、鳥の声は昔も今も変わりません。その声を聞いて人が感じることもそれほど変わってないのではないでしょうか。ということで、次は声そのものが主題になった歌です。じつは、この歌は萬葉集ではないのですが、つい最近、「アオサギ掲示板」のほうで話題になり、今回、歌のパロディを作ろうとしたきっかになった歌なので敢えて紹介したいと思います。百人一首中の一首であり、源兼昌という人が詠んでいます。まずは元歌から。
元の歌: 淡路島 かよふ千鳥の なく声に 幾夜ねざめぬ 須磨の関守 源兼昌 「金葉集」
意味は読んで分かるとおり。須磨の関守がチドリの鳴き声で幾夜も寝られぬ夜を過ごしたということです。確かなことは知りませんが、この時代、チドリの鳴き声はいとおしい人を想って鳴いているというふうに捉えられていたようですから、旅先にある須磨の関守にはそのチドリの声はいっそう侘びしさを募らせるものだったのでしょう。ただし、この歌、実体験ではなく想像で詠まれたもののようです。
さて問題は、このチドリをサギに変えるとどうなるかということです。
淡路島 ゆきかふ鷺の なく声に 幾夜ねざめぬ 須磨の関守
どうでしょう? 鳥の種類を変えただけで歌の内容が一変してしまいました。この歌では、関守がサギのあのギャッという声に驚いて目覚めてしまったと捉えるのが妥当でしょう。「うるさくて寝られん」という、コロニーでのサギの声を騒音視する現代の問題に通じるものを感じてしまいます。
萬葉集に戻ってもう少し続けます。
ぬばたまの 夜の更けぬれば 久木生ふる 清き河原に 青鷺ぞ鳴く
「ぬばたまの」というのは夜にかかる枕詞なので意味はありません。あとは読んで字のごとしです。夜の更けた頃、星影の降る清き河原に、アオサギのあの一声が鋭く澄んで聞こえる。と、これはなかなか雰囲気があるのではないでしょうか?
元の歌はというと、やはりこれもチドリなのです。
元の歌: ぬばたまの 夜の更けぬれば 久木生ふる 清き河原に 千鳥しば鳴く 山部赤人 「萬葉集巻六」
皆さんはどちらがお好きですか?
ところで、この歌のイメージはずっと時代を下って再び現れます(と私が思うだけですが)。次の一首は子規によるものです。
久方の 星の光の 清き夜に そことも知らず 鷺鳴きわたる 正岡子規 「竹乃里歌」
このふたつの歌を比べると「夜」「久」「清」「鳴」と四つも同じ漢字が使われています。これは偶然ではないと私は思います。あれほど萬葉集を称賛していた子規のことですから、「久方の」の歌を詠む時、たとえ意識はしていなくても、赤人の歌のイメージは頭にしっかり刻まれていたはずだと思うのです。それはさておき、その子規の詠んだ歌がチドリではなくサギとなっているところが嬉しいですね。
さてさて最後にもう一首。これは萬葉集の最後の巻の終わりの方にある大伴家持の歌です。
元の歌: 水鳥の 鴨の羽の色の 青馬を 今日見る人は かぎり無しといふ 大伴家持 「萬葉集巻二十」
最初の「の」が四つも続いている「水鳥の鴨の羽の色の」という部分、これは全て「青」にかかる枕詞です。何でもこの歌は正月七日の侍宴という行事のためにつくられたものだそうで、おめでたい歌なんですね。青馬については「万葉秀歌」に「公事根源」からの引用があり、「馬は陽の獣なり。青は春の色なり。これによりて、正月七日に青馬を見れば、年中の邪気を除くという本文侍るなり」と説明されています。
この意を汲んだ上で、「青馬」を「青鷺」に変えます。
水鳥の 鴨の羽の色の 青鷺を 今日見る人は かぎり無しといふ
いかがでしょうか? ここでは語が「青馬」から「青鷺」に形だけ置き代わったのではつまりません。「青馬」が特別な存在である以上、「青鷺」にも「青馬」と同等の資格が必要です。もちろん、アオサギにはその資格があります。アオサギは、古代エジプトではベヌウとして太陽神ラーの化身であり、さらにギリシャでは火の鳥フェニックスへと華麗に変身しています。いわば、「陽の鳥」の系譜の生みの親なのです。そうであれば、「鷺は陽の鳥なり。青は春の色なり。正月七日に青鷺を見れば…」と言い変えることに何の不都合も無いでしょう。そして「かぎり無し」という句、これは何が限りないのかというと、寿命が限りないのです。つまり、正月七日にアオサギを見れば長寿が約束される、と。
それでは皆さん、今年もアオサギを見て長命を得てくださいね。