アオサギを救うために
- 2015年02月05日
- 保全
現在の日本では、人間の無知、無理解のせいで、相当多くのアオサギが正当な理由もなく命を奪われています。そして、その惨状に大きく荷担しているのが有害鳥獣駆除の名で行われる大規模な捕殺です。これが正当な理由の駆除ならまだしも、そうでない出鱈目な駆除があまりに多いのです。その原因は至近的には駆除の許認可がいい加減になされていることにあります。そのことについては「アオサギの有害駆除に係る問題点に関する報告」にかなり詳しく書いたつもりです。興味のある方はぜひご一読ください。鳥獣行政のあまりの杜撰さにびっくりされることと思います。
とはいえ、この問題に対する非難の矛先を鳥獣行政の担当者に向けたところで事態は改善しません。問題は鳥獣行政システムそのものなのです。鳥獣行政に予算と人を今よりはるかに多くつぎ込まない限り今の状況はなかなか変わらないでしょう。ともかく、やらなければならないことに対してお金や人など必要なリソースが全然足りていないのです。いい加減な許認可業務もその結果としての理不尽な駆除もおおもとの原因を求めると全てそこに行き着きます。
しかし、だからといって手をこまねいていても仕方がありません。行政が自らできることをやってない部分については改善を求めていかなければなりませんが、それによって改善されることはたかが知れています。もっと大きく根本から直していこうとすれば行政担当者の鳥獣に対する意識改革がどうしても必要です。そして、それは我々一般人の意識改革でもあるわけです。結局、行政は世間の意識を反映しているのに過ぎませんから。世間の関心が低い問題に関しては行政も動かないわけで、当然のことながらそういうところにはお金も人も集まりません。行政の意識を変えようとすれば、まずは我々の意識を自ら変えていくしかないのです。
残念ながら、現状では野生動物の問題、とりわけ駆除の問題については人々の関心は決して高いとは言えません。これは当然のことで、被害がある人にとっては深刻な問題だけれども、そうでない大多数の人たちにとっては全く何の関係もない問題だからです。駆除の問題を自分に被害があるか無いかの面で捉える限り、この閉塞した現状は変えようも変わりようもありません。
そこで、今回は少し別の側面、より多くの人たちが関心をもつと思われることから駆除の問題にアプローチしてみたいと思います。端的に言えば動物の命をどう捉えるかということです。あるいは動物の権利についてどう考えるかという問題です。このことについてはじつは上記報告書の中でもわずかに触れています。「4.(9) コロニーでの駆除に係る問題」と「4.(10) 繁殖期の駆除に係る問題」がそれです。驚くべきことに、現在の鳥獣保護法ではコロニーでの駆除や繁殖期の駆除は明確には禁止されていないのです。もっとも、自治体によっては独自にこれらの行為を禁止するという規定を設けているところもありますし、こうした行為は鳥獣保護法の精神に反すると主張する担当者もいらっしゃいます。私もそう思いますし、鳥獣保護法の精神云々という以前に動物倫理上許されてはならない行為だと思っています。しかし、残念ながらそのように考えている担当者はごく僅かで、多くの自治体が繁殖期にコロニーで駆除するような乱暴な行為を許しているのです。
問題は、駆除を倫理的な側面で捉えようとする土壌が現在の鳥獣行政に無いことです。もっともこれは行政に限ったことではありません。生態学など実証科学に基づいたものしかまともな意見として受け入れず、動物の命だとか権利だとか言うと、その言葉だけで感情論として一蹴するという、何かにつけまことに幼稚で嘆かわしい雰囲気が今の日本にはあります。おそらくこの国で動物倫理の問題について自分なりの意見をもっている人はごく僅かだと思います。けれども、世界的に見ればこの種の問題は哲学の分野でも法学の分野でも極めてホットなトピックなのです。そして、最近ではそうした考えが実社会にも徐々に反映されてきています(事例1、2、3)。こうした事例があるからといって直ちにアオサギの人権がどうこうというわけではありません。しかし、駆除の問題を考える際に動物倫理的なアプローチの重要性が今後ますます高まってくるのは間違いないでしょう。
こうしたアプローチは言わば動物に対するモラルを見つけようとするものですから正解があるわけではありません。しかし、究極のコンセンサスは得られなくても、それぞれの局面で共通の認識を見つけていくことは可能です。そのためにはさまざまな意見を真面目に吟味することが何より必要ですし、吟味すればするほど動物に対する世間の認識は柔軟で強靱なものになります。そして、そのように世間の野生動物に対する関心を高めていけばいくほど鳥獣行政は駆除の問題により大きな関心を払わざるを得なくなり、結果的に不用な駆除は減っていくはずです。
どのくらい先のことになるか分かりませんが、いずれはアオサギにも何らかの権利が認められる、そういう時が来るでしょう。と書くと、たいていの方は何を馬鹿なことをと呆れられることと思います。実際、動物の権利の問題は簡単に説明できるものでも簡単に納得できるものでもありません。しかし、難しい問題だから、あるいは余計なことを言うと変な人と思われるからといって口をつぐんでいたのでは変わるものも変わりません。それは結局、杜撰な鳥獣行政や不当な駆除を間接的に助長することになってしまいます。権利というのは欲しい欲しいと声に出さなければ手に入りません。人間に理解できる言葉をアオサギがもたない以上、そうした彼らの訴えは我々が代弁するより他ないのです。