その鷺、青き衣を纏いて…
- 2016年03月31日
- その他
アオサギは青くもないのになぜ青鷺なのかという疑問。おそらくこれは数あるアオサギの疑問の中でも筆頭に位置するのではないでしょうか。たしかに、色で名付けるなら灰鷺のほうが妥当なように思えます。実際、世界のほとんどの国では「灰色の鷺」と呼ばれているわけですから。ところが、この疑問の答えを見つけようとネット上を調べてみても、分かったような分からないような説明しか出てきません。曰く、古語では灰色のことを青と言っていた云々。もちろんそれも間違いではないのですが、これで納得できる人はかなり物分かりの良い人でしょう。
そこで、今回はこのことをもう少し掘り下げて考えてみたいと思います。まずアオサギの青はどの漢字で書くのが正しいのかという問題。「青鷺」と「蒼鷺」、これはどちらも正解です。それに、いずれか片方が最近になって加わったとかではなく、両方とも大昔から日本で使われてきた漢字です。「青鷺」のほうは奈良時代初期に編纂された『常陸国風土記』に出てきますし、「蒼鷺」のほうはこれも奈良時代あるいはそれ以前に書かれた『漢語抄』に出てきます。「蒼鷺」のほうがなんとなく古そうですが、実際そのとおりで、「蒼鷺」の漢字は中国から伝わったものなのです。だから、今でも中国では「蒼鷺」の字が使われています。一方、あちらには「青鷺」という語はありません。アオサギといえば「蒼鷺」であって「青鷺」ではないのです。というのも、中国の青は日本の青と色合いがずいぶん異なるからなのですね。あちらの青は日本の青に比べるとずっと緑がかった明るい青色を指すようです。これではもうまったくアオサギの色合いとは言えません。かといって、日本の青がアオサギの色合いに合致するかといえばこちらもさっぱりですが…。そんなことで色の問題はともかく、「蒼鷺」の語が中国起源で、これが日本に伝わった後、蒼の代わりに青が当てられたというところまでは間違いなさそうです。
さて、青くもないサギになぜ青という色を冠したのかという冒頭の疑問。これはネットの知識的には、時を経るうちに青の意味が変わってしまったということで簡単に片付けられるわけですが、もう少し具体的に言うと、昔は現在の青色だけでなく、緑や灰色など寒色系の白黒はっきりしない色が総じて青とみなされていたということです。もっとも、昔の人の色の識別能力が現在の人より劣っていたということではありません。視覚的に見えているものは現代人も昔の人たちも同じです。要は、昔の人々には青や緑や灰色など個別の色をこと細かく区別する必要性がなかったということなのですね。結局、必要性こそが言葉をつくっているのです。
現代の日本では青と灰色を違う言葉で表せないと何かと不便ですが、では、朱色と橙色の違い、あるいはバーミリオンとスカーレットの違いはどうだと問われれば戸惑ってしまう人がほとんどではないでしょうか。それらの色が微妙に異なることは視覚的には分かっても、その色区分に実際的な意義を見い出せる人などほとんどいないと思います。それらの色を区別できなくても何不自由なく暮らしていけますから。同様に、もっと単純な色区分だけで用の足りる社会であれば、青と緑、青と灰色をわざわざ分ける必要などどこにもないのです。実際、ごく最近まで(あるいは今も?)青や灰色のない言語、社会はけっこうあったそうですよ。
そんなことで、色の種類は社会的必要性に迫られて少しずつ増えていくというのが普通のようです。なので、最初はどの社会どの言語でもわずかな色区分しかありません。そして面白いことに、色の表現の初期の段階では、あらゆる言語で例外のない規則があるということです。つまり、まず黒と白が区別され、その次に赤が来るという規則性ですね。この段階では青はまだ現れず、青の色合いは黒とみなされることが多いといいます。で、この黒白赤3つの色の次に、緑、黄、青という辺りが区分され、さらに後になって灰色などの曖昧な色が追加されていくようです。この辺のことは『言語が違えば世界も違って見えるわけ』という本に詳しく書かれているので興味のある方はぜひ読んでみてください。とても面白い本です。
この色の表現についてもう少し説明すると、黒、白、赤、青はどれも「い」で終わる形容詞形をもっています。緑や紫や灰色などはそうはいきません。つまり、黒、白、赤、青の4色はその他もろもろの色とは一線を画した別格の語彙と言えそうです。色の名そのものを表すということの他に、モノの様態や様相を表す言葉でもあったということなんですね(なお、黄色と茶色にも「い」が付けられますが、これらは黒、白、赤、青とは別の成り立ちをもつようです)。
それでは青が色以外に意味するものとはいったい何なのでしょう? これはおそらく無数の説があるのでしょうが、ここではありふれたものではない説を敢えて挙げてみたいと思います。まず、宗教(仏教)上の解釈として、青は死や怒りといった負のエネルギーを表しているという説があります。たとえば、青色の肌をしたインドのシバ神などがこれに当たります。また、青は魂や霊威の横溢した状態を示すとの解釈もあります。これはさらに青が呪力をもつという解釈にも繋がります。これらのイメージはベクトルの向きは多少違えど、いずれも強烈な精神性をもつという点ではかなり似通ったものと言えそうです。
一方、そうした青のイメージの受け入れ母体となるアオサギはというと、これこそ人によってそのイメージはさまざまなはず。けれども、アオサギの恐竜っぽさとか近寄りがたさとか、立ち姿の凜とした感じ、水面下に獲物を狙うときのはち切れそうな緊張感、そうした印象はそれほど個人差なく誰もが共通に感じとれるものではないでしょうか。そして、これらアオサギに本質的に備わっているイメージは、上に挙げた青の意味するものとかなりよく共鳴するような気がするのです。
アオサギがイメージを生成する主体だとすれば、青という語は基本的にアオサギに関係なく生成されたイメージの集合体といえます。このふたつがアオサギの色合いを拠り所に合体するとき、そこには名付け親が予想だにしなかった生成変化が起こるはずです。アオサギは青の語をさらに進化させ、青はアオサギをさらに魅力的な存在に変える…、これは青や赤白黒にしかできないマジックです。とても灰色や茶色の真似できる芸ではありません。アオサギが青鷺であり灰鷺でなかったことの意味はとてつもなく大きいのです。