『幻像のアオサギが飛ぶよ』書評
- 2016年04月09日
- その他
当サイトの掲示板にもときどき投稿して下さっている佐原さんが、先日、『幻像のアオサギが飛ぶよ』という本を出されました。佐原さんはアオサギやゴイサギなど鳥や魚の生態を長年研究されてきた方ですが、今回の本はタイトルから推察されるように純粋な生物学からはかなりかけ離れた内容になっています。ひと言で言うと、アオサギと人の関わりを文化史の面から考察していったものです。この手の話には私も一方ならぬ関心があり、ことあるごとに当サイトでもあれこれ書き散らかしてきました。じつはそうした私の興味自体、佐原さんから相当な影響を受けてきたのです。
そんなことで、先日、新聞に同書の書評を書きました。掲載誌は佐原さんの地元である津軽地方の陸奥新報で、掲載日は4月1日です。書評を読んで興味をもたれた方は本のほうもぜひ読んでみて下さい。
人とアオサギの文化史
古来、人は動物にさまざまなイメージを付与してきた。アオサギにあってもそれは例外でない。例外でないどころか、イメージの豊かさという点では他のもっと身近な動物に勝るとも劣らないだろう。
本書は、そうしたアオサギのイメージ、「アオサギ観」に焦点を当て、人とアオサギの関わり合いの歴史を紐解いたものである。まずタイトルが印象的だ。これは近代詩の一節からとられたものだが、日本人のアオサギイメージの一典型として示されている。このように、著者は近代詩をはじめとした古今東西の文献資料を幅広く渉猟し、それら一連のテキストから日本人独特のアオサギ観を洗い出す。
そして、そこで浮き彫りになるのは「憂鬱で不気味な」アオサギである。一方、西洋のアオサギは「高貴で精悍だが孤独」だという。どこでこのような違いが生じたのか? なぜ日本のアオサギ観はこうもネガティブなのか? その理由として提示される事実はなかなか衝撃的だ。日本のアオサギはかつて妖怪視されていたというのである。ところが、時代をさらに遡ると田を守る穀霊であったともいう。穀霊から妖怪への大転換。なぜそんなことが起こったのか? そこにはまたシラサギを交えての新たな謎解きが控えているのだ。人とサギ類の関わりはかくも奥深い。
本書の特徴は、こうした謎解きが文献からの推測にとどまらず、生物学的事実に裏付けられていることにある。アオサギの登場するさまざまな文化史的テキストを縦糸に、生物学的知見を横糸に、日本人のアオサギ観を丁寧に織り上げる、これは相当にしんどい作業である。にもかかわらず、堅苦しさを感じることなく著者と一緒に謎解きが楽しめるのは、「(アオサギの)研究と並行して、アオサギゆかりの品々を集め始めた」という著者の軽やかで旺盛な好奇心が語りのそこかしこに感じられるからだろう。
なお、本書が単なる碩学の書ではないことは強調しておかなければならない。人とアオサギの関わりの歴史を通して生きものに親しみを感じ、ひいては生きものの保全に関心をもってほしい、それが本書に通底する著者からのメッセージである。本書を読んでアオサギと共有してきた歴史を心の内に感じられれば、アオサギはもはや得体の知れないよそ者ではない。もちろん妖怪でもない。いまや我々は共感できる隣人になり得るのである。