アオサギを議論するページ

アオサギとの距離

数十年前、私が伊予の松山から札幌に来た当初、まず驚いたのはスズメが人のすぐ近くにいても逃げないことでした。松山にいたスズメと札幌のスズメとは人との距離の取り方が明らかに違っていたのです。なぜそうなのかは未だに分かりません。ともかく、愛媛、北海道に限らず、どの地域にも地域特有の距離の取り方があるということなのだと思います。もちろん、それはスズメに限ったことではなく、たとえばアオサギでも同様です。

写真は私が先日、松山に帰省したときに写したもので、松山城を囲むお堀の光景。中央の水鳥用東屋の屋根にアオサギが1羽とまっています。屋根がフンで汚されているところを見ると、ここがお気に入りの場所でよく休みに来るのでしょう。ところで、おそらくほとんどの人たちはこのシーンに特別なものは感じないと思います。けれども、北海道に住んでいる私には、このアオサギがこの近さでなぜ逃げないのかがとても不思議なのです。北海道でこの距離はあり得ません。たとえこの倍、3倍離れていたとしても、目が合えば飛び去ってしまうのが普通なのです。

最近では関西や関東の都市域を中心に人に慣れたアオサギが多くなり、この写真どころか人がすぐ隣にいても我関せずというアオサギが珍しくなくなってきました。しかし、北海道では依然アオサギは警戒心が強く、望遠レンズでもないとなかなか写真にも写りません。許容できる距離の地域差は到底スズメの比ではないようです(それにスズメとはパターンが逆です)。北海道のアオサギがとくに警戒心が強い理由については、これもやっぱりよく分かりません。ただ、スズメの場合よりはいくらかもっともらしい見当をつけることはできます。

たとえば、北海道はほかの地域にくらべて、人の生活圏から離れたところに営巣場所を見つけ易いのではないかということ。そのつもりがあれば敢えて人のいる近くに出なくても良いわけです。これが内地の都市域になると、営巣場所として残されているのは、街中の公園であったり、寺社の杜であったり、いずれにしても常に人と顔を付き合わせてなければならない場所ということになります。そうした営巣地が北海道には無いのかといえば実はあったりもするので、この状況が警戒心の有る無しに大きく影響しているとは言い難いのですが、営巣場所の選択に関しては北海道のほうがまだまだ選択の幅が広いのは間違いないと思います。で、仕方なく人のたくさんいるところで暮らしていると、最初は恐る恐るではあったにしてもやがて人に対する警戒心が薄れていくのではないかと。まあ、当然といえば当然の成り行きですが。

ここでひとつ考えなければならないのは、北海道のアオサギは留鳥ではないということ。年中同じところに留まっているスズメであれば地域特有の特徴が見られるのは容易に理解できますが、渡り鳥となると話は別です。北海道のサギたちは秋になると南に渡ります。南の地方に行けば人に慣れたアオサギと遭うこともあるだろうし、そのサギたちの行動に感化されることもあるかもしれません。それとも、人は人、自分は自分で、軽々に真似したりなんかはしないのでしょうか。あるいは、北海道のアオサギはそもそも内地の都市域で冬を越すことはなく、人に慣れたサギたちと交わることすらないとか。この辺のことは、渡りルートが解明されないとこれ以上は何とも言えないですね。

人との距離をどこまで許容するか、これは地域差もさることながら、時間とともに徐々に変化するものであり、もしかすると、ときに劇的に変化するものなのかもしれません。北海道のアオサギが現在の警戒心をいつまで持ち続けられるのか、これからも関心をもって見ていきたいと思います。

連日34度を超えていた松山から戻ると、札幌はすでに秋の虫が鳴いていました。これから季節が急に変わっていきますね。皆様、ご自愛ください。

江別コロニー

江別コロニーは札幌の中心から15キロほどの所にあります。私にとっては自宅から手軽にアクセスできるコロニーということで、今もけっこう頻繁に観察に行っています。このコロニー、この場所にできてから今年でちょうど20年目になります。なぜはっきりした年数が分かるかというと、当時、すぐ近くの野幌にあった巨大コロニーが消滅したからなのです。このことは当時、新聞記事になるほどの騒ぎになりました。そんなことで、いなくなったサギたちの行方を多くの人が気に懸けており、江別で営巣しはじめたこともすぐ確認できたという訳なのです。

野幌のサギたちがいなくなったのはアライグマのせいだと言われています。おそらくそれは間違いないでしょう。野幌を去ったサギたちは札幌やその周辺にいくつか新しいコロニーをつくり、今も営巣を続けています。中には移った先で再びアライグマに襲わたところもありますが、兎にも角にも20年間コロニーを守り続けているわけです。江別コロニーはその時新設されたコロニーの中ではおそらく最大。営巣数は年によって多少の変動はあるものの、ここ数年は180前後で推移していました。

そんな江別コロニーですが、今シーズンはどうにも変なのです。シーズンも初めのうちはとくに異常は見られませんでした。ところが、そのうち巣が次々に放棄されていったのです。ヒナが生まれる前、生まれた後にかかわらず、歯止めが利かないかのようにぼろぼろと巣が空になっていきました。もちろん元気にヒナが巣立っていったところもあるにはあります。けれども、それはおそらく全体の2割にも満たないのではないかと。大半のペアは途中で営巣を止めざるを得ない状況に追い込まれてしまったようなのです。

問題はこの異常事態の原因が何なのかさっぱり分からないこと。20年前の野幌で起こった悪夢が繰り返された可能性もありますが、それにしてはサギたちの反応が穏やかなのが気になります。野幌の場合はほとんど一夜にしていなくなった感じでした。ところが、江別ではシーズンを通して徐々に徐々にいなくなっていくのです。それだけに一層不気味です。

今後、何か分かればまたここでもお知らせしますが、このまま謎のままで終わってしまうかもしれません。ただ、おそらく間違いないだろうと思うのは、このコロニーは近い将来、消滅してしまうだろうということ。じつは一昨年くらいから規模は小さいながら今回と同じような状況が見られていたのです。それが今年になってドカーンと。一連の状況を見ると、コロニーとしてもはや末期的なのかなと思わざるを得ません。杞憂であれば良いのですが。

営巣に失敗したサギたちが気の毒なのはもちろん、衰退していくコロニーもまた気の毒です。コロニーとしてまだたかだか20年。長年見てきたコロニーなだけにいっそう寂しいものを感じます。

写真集『蒼鷺』

これまでありそうで無かった写真集、アオサギだけを撮った写真集がついに刊行されました。写真集のタイトルはずばり『蒼鷺』です。この貴重な写真集を出されたのは北海道幌加内市の写真家、内海千樫さん。じつは内海さんは当サイトの掲示板にもよくお越しいただいており、写真も数多くご投稿いただいてます。なので、ここをご覧いただいている方であれば、今回の写真集の中に既視感のある写真を見つけられる方ももしかしたらいらっしゃるかもしれません。

内海さんによると、昨今、写真集は全然売れなくなっているのだそうです。実際、昔と違って誰もがカメラを持ち歩く時代ですから、アオサギに限らず対象を見たいだけならネット上にその手の写真は溢れています。その上、最近は人を警戒しないアオサギが多くなったせいで、すぐ手の届く距離で撮られた写真も普通に見かけるようになりました。だからアオサギがどんな鳥なのか見てみたいというだけの理由で写真集を買う人は今日まずいないと思います。

そんな中、敢えて刊行されたのが今回の写真集だったわけです。けれども今回鑑賞してみて、写真集の存在意義をあらためて見直しました。一冊の写真集は紛れもなくひとつの作品であり、その中で世界が完結しています。雑多まばらに散らかっているネット上の写真では絶対に得られないものがそこにはあります。

何にも邪魔されずにアオサギの世界に身を置ける贅沢さとそこから得られる充足感、それはたぶん内海さんご本人が撮影中そのように感じていたからこそ、作品を通じて見る者に伝わってくるものなのでしょう。内海さんはアオサギを撮りつづけて20年近くになるそうです。写真集を見終えたあとに感じる深く静かな余韻は、その長い歳月が無意識のうちに写真の中に織り込まれているせいなのかもしれません。そして素晴らしいのは、その感覚がアオサギのもつ雰囲気と見事に調和しているということです。アオサギと内海さんという組み合わせの奇蹟に心から感謝せずにはいられません。

今回ご紹介した写真集は今月20日に刊行されたばかりです(価格は税込みで2,700円)。ただ、発行部数はそんなに多くないとのことで小さな本屋さんには置いてないかもしれません。Amazonなどネットでも買えますが、いま現在、Amazonではすでに品切れらしく、在庫が確保されるまでしばらく待たなければならない状況です。そんなことで、写真集を購入したい方は内海さんに直接連絡をとってみることをお勧めします(メールアドレス:heronsアットマークchicドットocnドットneドットjp)。内海さんも是非そうしてほしいと言ってました。気軽に連絡してみてください。

コウノトリ誤射と駆除への問題意識

先日、島根県でコウノトリがサギと間違えられ撃たれるという事件がありました。事件の内容は以下引用のとおりです。これはこれで大問題なのですが、私はむしろこの事件への人々の意外な反応に驚かされました。サギが駆除されていることについて関心をもたれる方が予想外に多かったのです。

島根県島根県雲南市教育委員会は19日、同市大東町の電柱で営巣し、4月にヒナの誕生が確認されていた国の特別天然記念物コウノトリのペアのうち、雌が死んだと発表した。猟友会の会員が、駆除の期間中だったサギと誤認し、射殺したという。(2017年5月19日付け朝日新聞より一部抜粋)

この事件が大きく報道されたのは、コウノトリが特別天然記念物で国内に僅かしか生息していないという希少性に対する関心と、それを誤射したという特異な状況が相まってのことだったと思います。いかにもメディア受けしそうな話題ですね。私はテレビのことはよく知りませんが、少なくとも新聞は各社こぞって報道し、全国的なニュースになりました。各新聞社の報道内容は上に載せた朝日の記事とどれもそんなに変わりません。ただ、サギの名前は出さず、単に「害鳥と誤認」したと書いている新聞もありました。このような文脈で改めてこの語を見るとつくづく酷い言葉だなと思います。しかもサギという語もなくただ害鳥…。まるでサギの存在自体、無視されているかのようです。ついでに言えば、コウノトリのことを天然記念物と呼ぶのもどうにかならないものかと思いました。鳥を「物」としか見ない見方、こんなのはもう何十年も前に廃れてて良いはずです。たかが言葉の問題だとは思いません。人の認識は言葉をもとにして作られるものなのですから。

話が大きく逸れてしまいました。今回の事件で私が注目したいのは、コウノトリの誤射という本筋でなく、サギの駆除という隠れた問題に目を向ける人が多かったことについてです。実際、ツイッターでは何故サギが駆除されているのか、何故サギが駆除されなければならないのかという疑問をツイートする人が大勢いましたし、当サイトやアオサギ駆除についての報告書へのアクセスもこの一件で劇的に増えました。このように、今回の件がサギ類の駆除に疑問をもつきっかけをつくったのは間違いないようです。

ちなみに、今回の報道はどの新聞でもサギと書かれているだけで、何サギなのか種名を特定している新聞は私の知る限りありませんでした。なので、私は当然のごとくアオサギのことだと思っていたのです。私に限らずニュースを見聞きした多くの人はそう思ったのではないでしょうか。けれども、ネット上の情報を拾い集めると、間違えられたのはアオサギではなくどうもシラサギのようですね。まあ、アオサギにしてもシラサギにしてもコウノトリとの違いは一目瞭然なのですが。

今更あらためて書くまでもなく、サギの駆除は全国的に相当な規模で行われています。たとえばアオサギでは全国の生息数の10分の1かそこらが毎年駆除されています。他のサギ類もアオサギ同様、駆除はやはり野放し状況。それなのに大抵の人たちはサギ類が駆除されていることなどまず知りません。シカやクマなど、被害が広範囲で被害を被る人も多くニュースなどでもよく取り上げられる鳥獣についてはよく知られていますが、サギ類の被害は局所的で被害を被る人も限られるので問題がなかなか社会に知れ渡らないのです。それを良いことにいい加減な駆除がまかり通っているのが現状です。

そして、こんなことではダメだ、なんとか社会に問題を認知してもらわなければ、と思って作ったのが上述の報告書というわけです。しかし、作ってはみたものの、予想どおり行政にはのれんに腕押しでしたし、世間の反応もほぼ皆無といった状態でした。鳥獣の駆除のことをわざわざ気に留めるような奇特な人はそうそういないのだろうと、正直なところかなり落胆していたのです。そういう経緯がありましたから、今回の一件でサギ類の駆除についての関心が高まったことは私にとって意外であり嬉しい驚きでした。

今回の件はサギ類の駆除を扱ったニュースではありません。にもかかわらず、サギ類の駆除について問題意識をもつ人が多かったという点に私は何かとても力強いものを感じています。今回だけを見れば、この問題意識を共有できたのは日本人全体のごく少数の人たちに過ぎないかもしれません。けれども、潜在的に共有できるかもしれない人たちは十分に多いと思うのです。

ともかくきっかけは何でも良いのです。駆除を担当している行政に直接物申したところで効き目はほとんどありません。行政のやっていることを変えるもっとも効果的な方法は世間の問題意識を高めることです。今回の出来事がそのきっかけのひとつになる可能性は十分あります。そうなれば、犠牲になったコウノトリも少しは浮かばれると思うのです。

ページの先頭に戻る