冬ねぐら
- 2018年02月28日
- 生態
写真は今日、つまり2月最後の日に撮った江別のアオサギ冬ねぐらです。アオサギはというと、1羽もいませんでした。ひと昔前には20羽も30羽もいて、冬じゅう彼らの姿が絶えることはなかったのに、あれはもう過去の記憶でしかないようです。どういうわけか、ここ数年、ここで越冬するアオサギは少しずつ減っていました。そしてとうとう…。もちろん、この時間帯にたまたま餌場に出かけていていなかっただけかもしれません。けれども、漸減してきたここ最近の傾向を考えると、彼らが今なおここに留まっている可能性は限りなく小さそうです。この場所は冬ねぐらとしての役割を静かに終えようとしているのでしょう。国内最北の冬ねぐらのひとつだったのですが、なんとも残念です。
ところで、越冬地がなくなるということは、それまでそこで越冬していたサギたちが別の場所へ移るということ。近くにもっと良い越冬場所を見つけて移る場合もあるでしょうし、こんな雪国もうやめたといって他の仲間と南の地方に渡っていく場合もあるでしょう。ともあれ、これまでとは違った新しい環境で新しい生活が始まるわけです。
私たちがふつう鳥に対してもっている認識というのは、1年をワンセットとして、その同じパターンが毎年繰り返されるというものだと思います。土地Aで子育てしたアオサギは、冬になると土地Bに渡り、翌春再び土地Aに帰ってくる、そして死ぬまでそれを繰り返す、そんなイメージではないでしょうか。もちろん年中同じところにいるサギたちもいますが、彼らの場合も毎年同じ1年が繰り返されるという点では同じです。けれども、実際はそんなに単純なものではないと思うのです。たぶん、彼らの生涯は私たちが想像する以上にバラエティに富んでいます。数年で死んでしまう小鳥類だとあれこれやっている暇もないでしょうけど、ときには20年も30年も生きるアオサギです。その長い生涯のうちに、営巣地、越冬地を何度か変えていても不思議ではありません。
変える理由は、場所で餌が獲れなくなったとか捕食者が増えたなどの外的要因かもしれないですし、アオサギ自身の体調や年齢からくる内的要因かもしれません。いずれにしても、彼らの生涯はどの1年も同じといった、おたや飴のようなものでないと思います。たとえば若いときと歳をとってからで変わったり…。まあ、鳥の場合は人間と違って歳の差が人間のように顕著には出ないのだろうと思いますが、まったく無視できるものでもないかと。「若い頃は雪国で越冬するくらい何でもなかったんじゃが、この年になったらやっぱり冬は暖かい所が一番じゃのぉ。」とか、今頃ひょっとすると年老いたアオサギたちが南国の水辺で語り合っているかもしれません。