N.Y.の事件と千葉の事件
- 2012年01月29日
- 保全
去年の夏、ニューヨークのとある川のほとりで、男二人がオオアオサギに石をぶつけたという事件がありました。銃で撃たれたとかではなく、石をぶつけられたのですから、よほど近くにいたのでしょう。サギたちが人を怖れなくなるのは本来は良いことなのでしょうけど、こういう碌でもない馬鹿がいるうちは、サギと人との距離が縮まることを素直には喜べませんね。被害に遭ったオオアオサギは、すぐリハビリセンターに連れて行かれたそうですが、羽も脚もずたずたの状態で手の施しようもなく、止むなく安楽死させられたということです。石を投げた当人は、事の始終を周囲にいた人々に目撃されており、ただちに通報、二人とも逮捕されています。なお、この事件は、投げた石がたまたまサギに当たったというようなものではなく、二人の男が相当な数の石を投げています。以下に当時の新聞記事を載せておきますので、詳しくお知りになりたい方は御覧になってください。5つのリンクのうち、3つは新聞社、残り2つはテレビ局とラジオ局で放送されたものです。ともかく、当時はけっこうな騒ぎだったのです。
110811 Killing of great blue heron sparks outrage, raises questions
110813 Irreparable damage – Blue heron beyond treatment after men hit it with a rock
110819 Men accused of torturing great blue heron in Jay
110820 Alleged killers of heron could face higher charges
110822 Essex County men injure blue heron
そして、つい先日、この二人の被告に判決が下されました。罰金、502ドル50セント。ひとつの命をこんな残虐非道なやり方で奪っておいて、4万円弱の金額で罪が償われるとはあまりにも馬鹿げています。記事につけられた読者からのコメントにも、もっと厳罰にすべきだという声が多くありました。もっとも、ニューヨークの州法では、この罪に対しては悲しいことにこの額が上限なんですね。6ヶ月以下の禁固刑があるものの、どうもそちらのほうも適用されなかったみたいです。なお、犯人のもう一人はこれまでにも相当の悪事を働いてきたようで、犯行当時も執行猶予期間中であり、即、刑務所送りとなりました。以下は判決についての記事です。
120113 Adirondack men sentenced for great blue heron attack on Ausable River
120113 NY men sentenced for stoning Blue Heron
120113 Men sentenced for hitting heron with rock
ついでなので、サギ類を巡る法律とその罰則について少し触れてみたいと思います。まずは、この事件のあったアメリカの事情から。今回の事件はニューヨーク州の州法に則って裁かれたと上に書きました。ただ、記事を読むと、州法でなく連邦法で裁かれる可能性も多少はあったようですね。この連邦法は渡り鳥条約法と呼ばれているもので、いくつかの二国間条約(日米間の渡り鳥保護条約も含む)を遵守するためにつくられた国内法です。これで裁かれると罰則はもっと重くなり、1万5千ドル以下の罰金か半年以下の懲役、またはその両方となります。これは1羽あたりの量刑で、犠牲になった鳥の数が多ければその分だけ積算されます。そのため、罰金も数万から数十万ドルになり、刑期も何十年に及ぶこともあります。何十年もの懲役刑が科されたという話はまだ聞いたことがありませんが、罰金が多額になることは希ではありません。とくに企業が引き起こす環境汚染が原因となった場合は、その被害が大きいため、数十万ドル単位の罰金が科せらているケースを時々見かけます。アメリカの渡り鳥条約法については以上のように私は理解しているのですが、専門ではありませんので、もし間違いがあればご指摘ください。
さて、日本の法律はどうでしょうか。日本でアオサギを直接守ってくれる法律は鳥獣保護法しかありません。これに違反してアオサギを殺傷したり卵を獲ったりすると、100万円以下の罰金か1年以下の懲役に処せられることになります。しかし、この罰則はあくまで上限であって、実際にはニューヨークの事例のようにがっかりするような判決が多い気がしてなりません。たとえば、もう7、8年前の話ですが、千葉県成東町でサギ類のコロニーが破壊された事件がありました。サギ類の鳴き声やフンが迷惑だというので、住民が子育て真っ最中のコロニーに重機で乗り入れ、199羽ものサギたちを殺したというとんでもない事件です。
2004年9月22日(毎日新聞)『成東町のサギ営巣地破壊 容疑で53歳男性を書類送検』
もちろん、この男は鳥獣保護違反で告発され、翌年、下記のような判決が出ています。
2005年8月31日(東京新聞)『サギの繁殖地(コロニー)破壊 199羽を死なせた男性を起訴猶予』
事件そのものも信じがたいことながら、この判決も信じられません。懲役もなし、罰金もなし。起訴猶予というのは、一応、前歴として記録はされますが、前科にすらなりません。私なんかは50キロの道を80で走ったため一発免停で立派な前科者(たしかにこれは悪いこと)ですが、199もの命を奪った者が私より罪が軽いなどとどうして納得できるでしょうか。怒髪天を衝くとはまさにこのこと。これは思い出すたびに理性を失いかけますね。ともかく、こんなことで、法の効力が維持できるのかとはなはだ心配になります。
一昨日、読んでいた本に次のような一文がありました。この本はとくに動物について書かれたものではありませんが、今回書いたことにたまたま符号する内容だったので書き留めておきます。
遠くから見るサギは美しいけれど、手なずけられず、煮ても食べられず、おしゃべりも仕込めないから、人間がそういうものと関係をもつ唯一の方法は、破滅させることでしかない。 (マーガレット・アトウッド『浮かびあがる』)
ニューヨークでオオアオサギが殺された理由もおそらくはこれと同じでしょう。千葉のケースも、いろいろ理由付けはできるにせよ、人と動物の関係に還元してしまえば、やはり同じことです。この短絡的な思考の中では、サギの命は羽のように軽いと思わざるをえません。法はそのことにどれだけ気付いているのでしょうか。