アオサギは死んだのか?
アオサギは死んだのか?
以下は合唱曲「蒼鷺」掲示板にご投稿いただいた内容から、とくにアオサギの生死に関する意見のみを抜粋したものです。その他の投稿内容については合唱曲「蒼鷺」のページを御覧ください。
2013/10/02(Wed) 16:38 アスカ 無題
今度の文化祭で蒼鷺を合唱することになりました。
この間の授業で、担任が「蒼鷺の歌詞を見て、読み取ったことを発表しろ」と言われ、「蒼鷺は最後寒さで死んだと思う」と言ったのですが・・・。
蒼鷺が死んだのか死んでいないのかで意見が分かれまして。
クラスの男子がどこから持ってきたのか蒼鷺に関する文章を読み上げだし、「蒼鷺は死んではいない」と言ったのですが、私は何回歌詞を読み返しても死んだとしか思えないです。
皆さんは、どっちだと思いますか?
2013/10/06(Sun) 12:52 まつ@管理人 Re: 無題
アオサギは死んだのではないか、との解釈はアスカさんに限りません。この掲示板を開設してもう8年以上になりますが、その間、アスカさん同様のご質問を数多くいただきました。その都度、私も私なりに考え独自の解釈をいろいろ書いてきたところです。
しかし、それも今回で終わりそうです。先日、この詩の作者、更科源蔵の「北海道・草原の歴史から」(1975年刊)という古書を見つけ、そのタイトルにひかれて139円で購入しました。そして、その最初のページに「蒼鷺」の詩が引用されていたのです。以下はその後につづけて書かれた作者本人による詩の解説です。
これは戦前に私の書いた、「蒼鷺」という詩である。これを読むと蒼鷺は留鳥のように書いているが、実は渡り鳥である。ただ、釧路湿原の落日の中に、風に吹かれてポツンと一羽だけ、枯木のように立ちつくして飛び立とうともしないその姿に、私の若い血がゆすぶられたのである。それはただ孤独な影を曳いた鳥の姿ということだけではなしに、明治のはじめ、茫漠とした釧路湿原の奥に入って、風雪に逆撫でされながらついに動かず、この土地の土に化した父母や、その仲間たちの姿がそれにダブって見えたからでもある。
更科源蔵は摩周湖の南、現在の南弟子屈に生まれ育った人です。彼の父とその友人が故郷の新潟を出て、たった二人でこの何もない原野に入植したのは明治24年のこと。その後、新潟から家族を呼び寄せたり、話を伝え聞いた友人が集まったりで、2年後には7戸の部落になったといいます。7戸とはいっても隣の家まで何キロも離れているようなところでした。10年ほどして源蔵が生まれたわけですが、当時、彼らが住んでいたのは「草を積み上げたような小屋」。「家の中まで密林の中のように雪が吹き込んだり、雪が顔にかかって寝られないとか、雪の積もった布団の上を鼠が走って歩く」家だったといいます。彼らの暮らしがどのようであったかは推して知るべきでしょう。けれども、そんな風雪にいためつけられる暮らしをしながらも、「七戸の人びとのうち誰一人として国へ引揚げたものはな」かったと、彼はこの章の最後に書き記しています。
それが百年と少し前の北海道の原野の風景であり「蒼鷺」の書かれた背景です。「動かぬ」アオサギは死を意味しているわけではありません。「動かぬ」アオサギとは、原野に入植し、その土地で生き、その土地の土に化した人びとの生きざまそのものなのです。
もはやこれ以上の説明は蛇足でしょう。
2013/06/22(Sat) 09:09 欝桟゛ 中学三年生です。今度合唱コンクールで歌います
私の学校の音楽の先生が 作詞?作曲者?どちらかだったかさだかではないですが 直接話を聞きに行ったところ この歌はアイヌの文化を継承していく 青鷺はその意志の強さを表している 青鷺は死んでないし死ぬわけにもいかないそうです
掲示板の中にそのような話があったので気になり書かせていただきました
2013/06/22(Sat) 18:32 まつ@管理人 Re: 中学三年生です。今度合唱コンクールで歌います
貴重な情報をありがとうございます。行動力のある先生ですね。
ご存知のように、この合唱曲は更科源蔵さんが作った詩に長谷部匡俊さんが曲をつけたものです。詩自体は『凍原の歌』という昭和18年(1943年)に発行された詩集に収められているもので、もともと曲をつけることを目的に書かれたものではありません。その後、更科さんは1985年に亡くなっており、この詩が合唱曲として再び世に出るのはそれからさらに8年後のことになります。音楽の先生がお話を伺ったというのは合唱曲になってからのことでしょうから、更科さんではなく作曲した長谷部さんのほうに尋ねられたのでしょう。その長谷部さんはというと、更科さんが亡くなったときは二十歳そこそこです。『蒼鷺』を作曲するのがこれよりずっと後であることを考えると、あくまで想像ですが、更科さんとの直接の面識は無いのではないかと思います。だとすると、音楽の先生が長谷部さんから聞き取った話は長谷部さん独自の『蒼鷺』の解釈だと考えられます。もっとも、更科さんが自分の詩について、真意はこのようなものであったとか、アオサギは実際は死んでいるとかいないとか、そういったことを何か別のところに書き残していて、それを長谷部さんが読まれたということも考えられますが、私の知っている限りそうした資料はありません。それが無いために、この掲示板にもあれこれ想像を巡らして書いているようなわけです。更科さんだけでなく詩を書く人は、はじめから読者にひと通りにしか解釈できないようなイメージは提供しないでしょう。詩の解釈に正解はありませんし、正解の無い自由さこそ詩の命なのですから。
とはいえ、アオサギが死ぬのか生きるのかという問題は、どちらの解釈を取るかで作者の思いがまるっきり変わってしまいます。その点、この部分の自由度はかなり制限されているのかもしれません。この詩では生死の問題は曖昧なままぼかされ、それが一面ではこの詩の妙味にもなっています。しかし、作者にしてみればわざと答えをぼかしているという意識はなかったのではないでしょうか。自明のことだからはっきり書く必要がなかっただけなのだと思います。
つまり、私も長谷部さんと同じ解釈です。アオサギは死んでいないし死ぬわけにもいきません。ただし、アイヌ文化の継承云々という部分についてはそれだけではないと考えています。そこには作者本人にも正確に把握できないほど複雑で多様な背景があったはずです。その様々な思いをアオサギという象徴に集約したのではないかと。ともかく、詩ですからいろいろな解釈があっていいと思いますよ。
2013/01/30(Wed) 07:26 梨 やっぱりアオサギは死んだのでは
今度合唱コンクールで歌うことになり、曲の事や詩について調べているうちにこのサイトにたどり着きました
そこで、少し疑問なのですが、まずそもそも冬の北海道にアオサギはいるのでしょうか
アオサギの生態の項を見たところ 冬は越冬の為に暖かい地域に渡ると書いてあるのですが 普段なら南に越冬しに行くはずの鳥が立ち尽くしているのは何か変ではないでしょうか
詩中の「許さぬ枯骨」や「凍った青い影」や「動かぬ」といった単語も、どうにも死を連想させます
併し天然は常に小さな人間の血と汗を一呑にして あがく悲嘆を絶望の底につつぱなし 更に冷酷な狡猾は勤勉を食ひあらし さまよふ騙詐は素朴をかすめさつた だが風がたち日影がさせば 土の子は倒れた豆の支柱をなほし 無慙に踏み荒された暴力の足跡に もう一度腰をかゞめて不撓の種子をうづめる このきびしい北方に生きるためには 常に休みなきたちなほりを要求され 鈍重絶えて敗退を忘れ 天の理法に則し 地の法則にしたがひ 小さくたよりなき自らをたよるよりない (管理人注:これは「蒼鷺」の作者である更科源蔵の「北海道」という詩からの抜粋です)
この詩で描かれている世界は「厳しい世界」と「それでもなお生きる」という事だと感じられます
ですが蒼鷺の詩世界ではそれとは異なり「厳しい世界」と「その結果の死」を描いているのではないでしょうか
私は「立派に生きる事」と「立派に死ぬ事」は同義だと思っています
なぜなら立派に生きなければ立派に死ねないし、死がこないならば、それも生きているとは言い難いからです
私は更科さんはアオサギの死から自然の厳しさとアオサギが必死に生きて生きて生き抜いたであろう事を想像して描いたのではと思うのです
そして、アオサギは死んでしまったが、私たちもアオサギのような死を迎える為にも「生きて生きて生き抜こう」と
更科さんの詩世界に一貫して見られる「生」を 蒼鷺では「死」を通して描いているんだと私は思っています
2013/01/30(Wed) 22:34 まつ@管理人 Re: やっぱりアオサギは死んだのでは
死をポジティブに捉える梨さんの解釈は新鮮でなるほどなと思いました。この詩でアオサギが死ぬと解釈する人は、多くの場合、自然に打ち負かされ力尽きたアオサギをイメージすると思います。それだと作者の他の詩との一貫性がなくなるのですね。それに、彼をとりまく諸々の状況を考えても不自然ですし。私の思考はそこで止まっていたので、死をポジティブに捉えるという発想がありませんでした。梨さんの解釈だと、そうした矛盾もなくすっきり読めますね。
さて、冬の北海道にアオサギがいるのかというご質問ですが、ごく限られた越冬地にわずかに残るのがいるくらいで、ほとんどは南の地方に渡ってしまいます。作者がこの詩で描いたと思われる北海道東部に、もし厳冬期にアオサギがいたとすれば、それはかなり特殊なケースです。
一般的には、北海道にアオサギが渡ってくるのは3月の初め頃になります。3月初旬といえば、春の兆しを感じる日はあっても、辺りはまだまだ一面の雪と氷。普通の感覚で言えば季節は冬です。もしかしたら、作者はその時期の情景を描いたのかもしれません。ただ、この詩はいわゆる象徴詩ですから、事実を反映しているかどうかにはそれほど拘らなくてもいいように思います。
ところで、梨さんの意見ではじめて気付いたのですが、「奥の底から魂がはばたくまで」という箇所は、人によって正反対の意味で捉えられるのですね。アオサギが死ぬと考える人には、「魂がはばたく」ことは昇天を意味しているのでしょう。一方、私はそうは考えませんでした。だからこそ私はこれまでアオサギの死をイメージできなかったのだと思います。私のイメージでは、「魂がはばたく」とは、本当になすべきことをする、またそれができる季節が到来するということであり、それは他でもなくアオサギの季節、春ということになるのです。その時が来るまで過酷な状況をひたすら堪え忍び、頑として動かない、そんなアオサギが描かれているように私には思えるのです。
私がこの詩をはじめて読んだのは10年以上前でしたが、これまでに何度も違った解釈をしています。もしかしたら、そのうち梨さんの解釈がいちばんしっくりくると感じるようになるかもしれません。いずれにしても、詩自体はとてもシンプル。それだけに読み手次第でさまざまな捉え方ができます。自由度の高い詩なんだなと思いますよ。
2013/02/03(Sun) 11:28 まつ@管理人 Re: やっぱりアオサギは死んだのでは
ついでにもう一点だけ、私がこの詩がアオサギの死を意味するものではないと考える理由を書いておきます。問題となるのは「奥の底から魂がはばたくまで」のところです。ここで「魂がはばたく」の意味がふた通りにとれることは前に書きました。注目したいのは、この魂が「奥の底から」はばたくものだということです。奥の底というのは暗くて狭い、そうとうにネガティブなイメージです。もし、魂がそこから脱出して死後にその苦しみから開放されるという意味で書かれたのだとすれば、作者は人生そのものを「奥の底」と言っていることになり、自虐的なほどに人生を悲観していると考えざるをえません。しかし、彼の他の作品を読む限り、現世を悲観し、来世に安寧を求めるというような雰囲気は少しも見られないのです。そうであれば、「奥の底」の解釈は別のものでなければならないのではないかと。私はそれを冬と考えます。そして、春になればその魂ははばたくのです。
前に書いたようにこの詩は極めてシンプルな構成です。枝葉を切り捨てると、この詩にあるのは冬とアオサギだけです。そして、アオサギが動かないことがこの詩を特徴づけています。この詩に死をイメージする人は、アオサギが動かないことに尋常でないものを感じるのだと思います。しかし、アオサギは本来、そんなに動かないものです。何もしないときは本当に置物のように微動だにしません。他の鳥と比べると動かないことが特徴だともいえるかもしれません。詩の最後の4行、「痩せほそり風にけづられ 許さぬ枯骨となり 凍った青い影となり 動かぬ」というのは、大袈裟な表現は使っているものの、これが冬に凍原に立ち尽くすアオサギを見たときの率直な印象です。それが彼ら本来の姿であり、そこにとりたてて死をイメージする必要はありません。
昨日、札幌近郊で越冬するアオサギを見ながら、ふとこの詩が頭に浮かんだので、余計なこととは思いつつ、またあれこれ書いてみました。
2011/10/04(Tue) 17:01 もんち Re: 無題
今 女子の間で「結局 青鷺って死んだの…?」と疑問になっています。
どうなんでしょうか・・・。死んだ 死んでないと女子が2つに分かれてしまうのは避けたいので…。
分かる範囲で構わないので教えてください<(_ _)>
2011/10/04(Tue) 19:07 まつ@管理人 Re: 無題
「アオサギが死んだのか」という質問はこれまでもたびたび寄せられています。皆さん、どうしてもそこが気になるようですね。はっきり言いますが、アオサギは死にません。この詩の中にはどこにもアオサギが死んだとは書かれていません。ただ動かないだけです。いつまでも微動だにせず立ち尽くすのはアオサギの特徴であり、何か異常なことが書かれているわけではありません。もっとも、大袈裟には書かれています。詩の中に「季節は移る」とあります。季節が移ってもアオサギは動かないわけです。これが事実なら、アオサギはとうに死んでいます。けれども、この詩は事実を描写したものではありません。頑として立ち尽くすアオサギはいわば架空の存在です。詩人が自身が思い描くひとつの世界を表現するためのモチーフなのです。アオサギが死んだと考える方は、「許さぬ枯骨となり」や「凍った青い影となり」に実際の死を連想するのだと思いますが、これらも動かないことを強調するための単なる比喩にすぎません。
私も以前はここまで断定的には考えませんでした。けれども、この詩が収められている詩集「凍原の歌」を読んで、ずいぶん視界がクリアになりました。少し前にもここで紹介しましたが、彼の「北海道」という詩の中に、詩人の立ち位置がかなり凝集して書かれていると思われる部分があるので紹介します。
併し天然は常に小さな人間の血と汗を一呑にして あがく悲嘆を絶望の底につつぱなし 更に冷酷な狡猾は勤勉を食ひあらし さまよふ騙詐は素朴をかすめさつた だが風がたち日影がさせば 土の子は倒れた豆の支柱をなほし 無慙に踏み荒された暴力の足跡に もう一度腰をかゞめて不撓の種子をうづめる このきびしい北方に生きるためには 常に休みなきたちなほりを要求され 鈍重絶えて敗退を忘れ 天の理法に則し 地の法則にしたがひ 小さくたよりなき自らをたよるよりない
これを読めば、アオサギは死んだのではという疑念は一掃されるはずです。まあ、詩ですから、読むほうが自由に解釈して読めばいいので、アオサギが死ぬと考えることでその人なりの世界が思い描けるのならば、それはそれでいいと思います。ただ、少なくともこの詩をつくった本人は、作品の中に死の概念は微塵も入れなかった。私はそう思いますよ。
2010/09/29(Wed) 22:48 ( *`ω´) こうとらえればいいとおもう
この曲を合唱で歌うことになったのですが、詩の意味を調べる宿題があったのですが、僕がこの詩で感じたのは、一見蒼鷺は「動かぬ」の所で死んだように思えますが、そこは、動か無いんじゃなくて、動けないんだと解釈しました。何故なら蒼鷺は、つぎの「奥の底から魂がはばたくまで」という所で、蒼鷺は魂がはばたくまで死なない、死ぬわけにはいかない。という解釈をしました。
あと、「枯骨」と言う意味なんですが、辞書には、死人の骨と書いてあり、「許さぬ枯骨となり」と言っているので、死んではいないと言う解釈がとれます。その事から蒼鷺が死にそうだけど、生きる為に耐えぬこうとする懸命な姿が浮かんで来ます。
少なくとも、この歌は蒼鷺が、寒い所で生きる為に自然に耐え抜く姿を表現した歌だと思うので、歌う方もその力強さを考えて歌えばいい歌になると思います。
2010/10/03(Sun) 19:46 まつ@管理人 Re: こうとらえればいいとおもう
そうですね。私も( *`ω´) さんの解釈に大筋で賛成です。この詩はアオサギが死ぬと解釈するのと生きると解釈するのとで詩の意味するところが決定的に違ってきます。私は( *`ω´) さんと同じく、アオサギは生き延びるという説をとります。この詩がアオサギが死にゆく場面の描写だと考える人は、アオサギが「動かぬ」という部分をその拠り所としているのでしょう。けれども、アオサギそのものをよく知っている人であれば、アオサギが動かないことに何の不思議も感じないはずです。ちょこちょこ忙しく動き回るアオサギはいません。おそらく、作者が「動かぬ」ものとして描いたアオサギは、写真のような姿勢で佇んでいると考えてまず間違いないはずです(もっとも、詩中のアオサギは1羽でいるところが想定されますが)。この姿勢をとって休んでいるアオサギは滅多なことでは動かず、何時間でもこのままの状態でいます。アオサギの場合、「動かぬ」ことは決して死に関連づけられるものではなく、アオサギが本来もっている特性のひとつなのです。
たしかに、詩の終わりのほうの「痩せほそり風にけづられ 許さぬ枯骨となり 凍った青い影となり」という部分は、一節ごとにアオサギの存在が極限まで希薄化されてゆき、死にゆくアオサギの姿を彷彿とさせます。けれども、その行き着くところは死とイコールではありません。この詩に描かれるアオサギの肉体の消滅は、単に「動かぬ」ことの時間経過を視覚的に表現したものに過ぎないと私は考えています。そういう観点で考えれば、この詩でアオサギの生死を云々すること自体、意味の無いことだとも言えます。この詩で詩人がもっとも強く表現しているのは「動かぬ」もの。そして、それはアオサギそのものではなく、「奥の底から」はばたくその時を待っている魂のはずです。そこに焦点を当てれば、あるいはアオサギの生死の問題に惑わされることなく、もっと素直な読み方ができるのかなとも思います。
ただし、だからと言ってこの詩でアオサギの存在が蔑ろにされて良いわけではありません。アオサギが「動かぬ」という状態をシンボリックに体現できる存在であるからこそ、作者は「動かぬ」魂への思いをアオサギの姿を通して的確に表現しえたのです。それに、アオサギがどうでもよくなれば、この掲示板の存在意義も無くなりますしね。
ついでに細かいことですが、「許さぬ枯骨」の意味について私の解釈を書いておきます。枯骨という単語は( *`ω´)さんが書いているように死人の骨ということで間違いありません。ただ、「許さぬ」という語は枯骨であることを否定するものではなく、単純に枯骨にかかる形容詞のはずです。おそらく「打ち解けない」とか「易々と懐柔されない」とか「頑迷な」とかいうほどの意味でしょう。これらの意味をそのまま言葉として当てはめてもしっくりこないかもしれませんが、なんとなく雰囲気は分かってもらえるかと思います。
2010/01/14(Thu) 22:22 よう 気になること
合唱でこの歌を歌うことになって、意味を考えている真っ最中です。
一度この詩を読むと単純に考えてしまえば蒼鷺は死んでしまったと思えてしまいます。
けれど、ここで簡単に死んでしまっては詩として何か足りません。
作詞者の更科源蔵さんを知ってみると、北海道の開拓民で何キロも先の学校へ通い、動物の観察もよくしていたということです。
だからこそこの蒼鷺をかけたのではないかということですが、蒼鷺は北海道では夏鳥で、冬は冬越えの為に南下します。
この詩は冬の詩です。
ここで違和感を感じました。
夏鳥である蒼鷺が冬の北海道にとどまっているのか?と考えると気になって仕方がありません。
みなさんはどう考えますか?
2010/01/15(Fri) 01:34 まつ@管理人 Re: 気になること
詩というのは読む人によって全く違う内容になる、そこが面白いのでしょうね。私はこの詩の蒼鷺は死んだというふうには理解しませんでした。けれども、「単純に考えてしまえば蒼鷺は死んでしまったと」というようさんの文を意識してもう一度読み返してみると、なるほど確かにそうですね。文字だけを追いかければ、最後の5、6行あたりはもうほとんど生命が感じられません。
けれども、私はやはり、この詩は蒼鷺が生きてこその詩だと思うのです。なぜそう思うのかは自分でもうまく説明できません。ひどく漠然とした言い方をすると、この詩のもつ雰囲気が蒼鷺が死ぬことを許さないからです。峻厳で激しく熱いものを秘めた蒼鷺。そんな蒼鷺に絶望という結末を想像するのはかなり難しい、と私は思うのです。もちろん、穿った見方をすれば、それでも蒼鷺は死ぬのだと想像できないことはありません。しかし、作者がこの状況を人間社会でなく自然界に設定しているということを考えれば、斜に構えず素直な捉え方で良いのではないでしょうか。
さて、もうひとつ。冬の北海道にアオサギがいるのかという点。たまたま私が北海道にいるので、これについては少しまともに説明できるかと思います。結論から言うと、冬の北海道でもアオサギはいます。もっとも、いるとは言えごく少数が残っているに過ぎず、ほとんどは本州以南に渡ってしまいます。作者が見ていたのはそのわずかに残った越冬アオサギだったのかもしれません。ただ、これは現在の話。ここ数十年でアオサギが急激に増えたことを思えば、更科源蔵さんがこの詩を書いた頃は、アオサギはそれほどよく見かけられる鳥ではなかったと思われます。まして越冬する個体はほとんどいなかったのではと想像します。
では、このアオサギは虚構なのかと言えば、さにあらず。私は春先に南から渡ってきたアオサギの描写ではないかと思っています。北海道では、アオサギの第一陣は3月の始めにやってきます。その頃の北海道はまだまだ冬の様相を色濃く残しており、詩の情景として何の違和感もありません。ただ、詩の内容を細かく見れば、飛来間もないアオサギの描写にしてはやや不自然なところもあります。が、まあそこまで詮索するのは野暮でしょう。これは観察記録ではなくて詩なのですから。たとえ完全な虚構だとしても何の問題もないですよ。
ということで、スッキリしたでしょうか?
2007/08/10(Fri) 10:25 みゆう 蒼鷺
蒼鷺の歌ありますよね。えぞはるに・・・ての
あれあたくしが合唱コンクールでうたうんです。
最後に蒼鷺は死んじゃうんですよ。
魂が羽ばたくまでやせ細りかぜにけづられゆるさぬここつとなり凍ったんです。
2007/08/10(Fri) 18:47 まつ@管理人 Re: 蒼鷺
合唱のシーズンなんでしょうか。ここのところ立て続けに合唱曲「蒼鷺」について皆さん書かれているわけですが。ともあれ、合唱曲の中でもかなり人気のある曲なのは間違いなさそうですね。
さて、歌詞の中のアオサギが最後に死ぬかどうかということですが、私は死んでないと思いますよ。「風にけづられ」とか「枯骨となり」とかの言葉は単なる暗喩で、それがアオサギが死んだ状態を表しているとは思えません。もしアオサギがここで死んだのであれば、さすがのアオサギも自然の過酷さには打ち勝つことができませんでした、というだけのつまらない内容になってしまいます。内容としてはそういう詩もあるかと思いまが、この「蒼鷺」はどうでしょうか。私はこの詩の言葉の力強さからして、過酷な運命に敢えなく伏してしまうアオサギというのはとても想像できません。それに、更科源蔵はまさにこの詩に描かれたような北海道東部の極寒の地で開拓民として生まれ育った人です。自然を恐れ、自然の猛威を堪え忍ぶことはあっても、自然に易々と打ちのめされるような生き方はしてこなかったと思います。そういう人のつくった詩ですから、アオサギも当然、簡単には死なないと思うのです。
どうでしょう。そう思って歌ったほうが、ずっと良い歌になると思いますよ。
2005/07/11(Mon) 03:23 ひろこ アオサギという歌
学校の合唱コンクールで歌う歌を決める時に、候補がいくつかあがって、その中に「アオサギ」という題の歌がありました。
歌詞がよく理解できないのですが、最後にアオサギが死んでしまうのかしらと勝手に解釈しています。
コンクールは別の歌を歌うことになったのですが、とても気になっています。
2005/07/12(Tue) 00:58 まつ@管理人 Re: アオサギという歌
更科源蔵が作詞した「蒼鷺」という合唱曲ですね。実はこの曲については年に一度、恒例行事のようにこの掲示板に質問が寄せられます。調べてみると、合唱曲としてかなり有名らしいのですが、私は数年前まで全く知りませんでした。それもそのはずで作曲されたのが2000年とごく最近なんですね。
さて詩のほうですが、こちらは古く、昭和18年に発刊された「凍原の歌」という詩集に載っています。その寒々しいタイトルからも想像できるように、この詩集の詩は彼が生まれ育った北海道東部の情景や出来事がモチーフになっているようです。
さてさて、最後にアオサギは死ぬのではないかということですが、私は死なないと思いますよ。たしかに、実際に詩で描かれているような状況にアオサギがいたら、餓死するなり凍死するなりしてもおかしくないと思いますが、少なくともこの詩の中のアオサギは死なないのではないでしょうか。ここの詩の中でアオサギが動かないのは「奥の底から魂がはばたく」時が来ると信じているからで、その時が来れば飛び立つのだと私は思っています。
本当のことはよく分かりませんが、この詩はアオサギそのものを描いたものではなく、道東で開拓民として暮らしていた更科源蔵本人や彼の身近な人々の思いとか生きざまをアオサギに投影して描いたものだと思います。そういう意味でも、この詩の中のアオサギが「やせ細り風にけづられ」、なす術もなく朽ち果て死んでいく、ということにはならないと思いますよ。そんなやわな気持ちでは、開拓民なんてやってられないでしょうから。
ひろこさんの疑問、少しは解消できたでしょうか?(まあ、私のもほんとに勝手な解釈ですが…。)