アオサギを議論するページ

アオサギを救うために

現在の日本では、人間の無知、無理解のせいで、相当多くのアオサギが正当な理由もなく命を奪われています。そして、その惨状に大きく荷担しているのが有害鳥獣駆除の名で行われる大規模な捕殺です。これが正当な理由の駆除ならまだしも、そうでない出鱈目な駆除があまりに多いのです。その原因は至近的には駆除の許認可がいい加減になされていることにあります。そのことについては「アオサギの有害駆除に係る問題点に関する報告」にかなり詳しく書いたつもりです。興味のある方はぜひご一読ください。鳥獣行政のあまりの杜撰さにびっくりされることと思います。

とはいえ、この問題に対する非難の矛先を鳥獣行政の担当者に向けたところで事態は改善しません。問題は鳥獣行政システムそのものなのです。鳥獣行政に予算と人を今よりはるかに多くつぎ込まない限り今の状況はなかなか変わらないでしょう。ともかく、やらなければならないことに対してお金や人など必要なリソースが全然足りていないのです。いい加減な許認可業務もその結果としての理不尽な駆除もおおもとの原因を求めると全てそこに行き着きます。

しかし、だからといって手をこまねいていても仕方がありません。行政が自らできることをやってない部分については改善を求めていかなければなりませんが、それによって改善されることはたかが知れています。もっと大きく根本から直していこうとすれば行政担当者の鳥獣に対する意識改革がどうしても必要です。そして、それは我々一般人の意識改革でもあるわけです。結局、行政は世間の意識を反映しているのに過ぎませんから。世間の関心が低い問題に関しては行政も動かないわけで、当然のことながらそういうところにはお金も人も集まりません。行政の意識を変えようとすれば、まずは我々の意識を自ら変えていくしかないのです。

残念ながら、現状では野生動物の問題、とりわけ駆除の問題については人々の関心は決して高いとは言えません。これは当然のことで、被害がある人にとっては深刻な問題だけれども、そうでない大多数の人たちにとっては全く何の関係もない問題だからです。駆除の問題を自分に被害があるか無いかの面で捉える限り、この閉塞した現状は変えようも変わりようもありません。

そこで、今回は少し別の側面、より多くの人たちが関心をもつと思われることから駆除の問題にアプローチしてみたいと思います。端的に言えば動物の命をどう捉えるかということです。あるいは動物の権利についてどう考えるかという問題です。このことについてはじつは上記報告書の中でもわずかに触れています。「4.(9) コロニーでの駆除に係る問題」と「4.(10) 繁殖期の駆除に係る問題」がそれです。驚くべきことに、現在の鳥獣保護法ではコロニーでの駆除や繁殖期の駆除は明確には禁止されていないのです。もっとも、自治体によっては独自にこれらの行為を禁止するという規定を設けているところもありますし、こうした行為は鳥獣保護法の精神に反すると主張する担当者もいらっしゃいます。私もそう思いますし、鳥獣保護法の精神云々という以前に動物倫理上許されてはならない行為だと思っています。しかし、残念ながらそのように考えている担当者はごく僅かで、多くの自治体が繁殖期にコロニーで駆除するような乱暴な行為を許しているのです。

問題は、駆除を倫理的な側面で捉えようとする土壌が現在の鳥獣行政に無いことです。もっともこれは行政に限ったことではありません。生態学など実証科学に基づいたものしかまともな意見として受け入れず、動物の命だとか権利だとか言うと、その言葉だけで感情論として一蹴するという、何かにつけまことに幼稚で嘆かわしい雰囲気が今の日本にはあります。おそらくこの国で動物倫理の問題について自分なりの意見をもっている人はごく僅かだと思います。けれども、世界的に見ればこの種の問題は哲学の分野でも法学の分野でも極めてホットなトピックなのです。そして、最近ではそうした考えが実社会にも徐々に反映されてきています(事例123)。こうした事例があるからといって直ちにアオサギの人権がどうこうというわけではありません。しかし、駆除の問題を考える際に動物倫理的なアプローチの重要性が今後ますます高まってくるのは間違いないでしょう。

こうしたアプローチは言わば動物に対するモラルを見つけようとするものですから正解があるわけではありません。しかし、究極のコンセンサスは得られなくても、それぞれの局面で共通の認識を見つけていくことは可能です。そのためにはさまざまな意見を真面目に吟味することが何より必要ですし、吟味すればするほど動物に対する世間の認識は柔軟で強靱なものになります。そして、そのように世間の野生動物に対する関心を高めていけばいくほど鳥獣行政は駆除の問題により大きな関心を払わざるを得なくなり、結果的に不用な駆除は減っていくはずです。

どのくらい先のことになるか分かりませんが、いずれはアオサギにも何らかの権利が認められる、そういう時が来るでしょう。と書くと、たいていの方は何を馬鹿なことをと呆れられることと思います。実際、動物の権利の問題は簡単に説明できるものでも簡単に納得できるものでもありません。しかし、難しい問題だから、あるいは余計なことを言うと変な人と思われるからといって口をつぐんでいたのでは変わるものも変わりません。それは結局、杜撰な鳥獣行政や不当な駆除を間接的に助長することになってしまいます。権利というのは欲しい欲しいと声に出さなければ手に入りません。人間に理解できる言葉をアオサギがもたない以上、そうした彼らの訴えは我々が代弁するより他ないのです。

謹賀新年

年賀状-2015明けましておめでとうございます。本年ものんびりやっていきたいと思います。たまに思いついたときにでも御覧いただけると幸いです。

さて、今回はお正月なのでアオサギのクイズを用意してみました。考えれば解けるような問題ではないので気軽に取り組んでみてください。最初の10問が生態や形態に関する問題で、他は文化誌的な内容です。答えの選択肢をクリックすると、正解の場合は「正解!」と表示されます。なお、クリックが動作しない場合のために記事の一番下に答えを付けています。正答の番号は選択肢の左からの順番です。

合計25問、では行ってみましょう!

Q1. アオサギの生息地は?

  • アジア極東のみ
  • ユーラシアとアフリカ
  • 全世界

Q2. 巣材を集める役目は?

  • 雄が多い
  • 雌が多い
  • 雌雄で差はない

Q3. 子育てを行うのは?

  • 雌のみ
  • 主に雌、たまに雄も手伝う
  • 雌雄両方

Q4. アオサギの産卵から孵化までの日数は?

  • 18日
  • 26日
  • 33日

Q5. アオサギの国内最北の越冬地はどこ?

  • 北海道
  • 宮城県
  • 静岡県
  • 高知県
  • 越冬しない

Q6. 繁殖期間(求愛からヒナの巣立ちまで)は約何日?

  • 70日
  • 100日
  • 130日

Q7. アオサギの営巣場所として知られていないのは?

  • 樹上
  • 裸地
  • ヨシ原
  • ビルの屋上
  • 鉄塔

Q8. アオサギの最長寿命の記録は?

  • 8年1ヶ月
  • 17年2ヶ月
  • 37年6ヶ月

Q9. アオサギの平均体重は?

  • 1.5kg
  • 5.5kg
  • 8.5kg

Q10. 繁殖期初期に婚姻色に染まらない部位は?

  • くちばし
  • 冠羽
  • 目(虹彩)

Q11. アオサギがもとになった古代エジプトの聖鳥は?

  • ホルス
  • オシリス
  • ベヌウ
  • トト

Q12. アオサギを原型とする伝説上の鳥は?

  • フェニックス
  • 鳳凰
  • ガルーダ

Q13. アオサギは交尾時に目から血を流すと書いた古代ギリシャの哲人は誰?

  • プラトン
  • アリストテレス
  • ピタゴラス

Q14. 旧約聖書の申命記で、アオサギにしてはならないと書かれていることとは何?

  • 食べること
  • 不親切にすること
  • 餌を与えること

Q15. 「サギは最も賢い鳥だ」と自らの著書に記したキリスト教の大司教の名は?

  • イシドロ
  • トマス・アクィナス
  • ラバヌス・マウルス

Q16. アオサギへの興味が高じて、自分の息子にアオサギと名付けた詩人は?

  • W.B.イェイツ
  • ディラン・トーマス
  • ランボー

Q17. 明治時代まで呼称されていたアオサギの別名は?

  • ヌエ
  • ミドリサギ
  • ミトサギ

Q18. アオサギの地方名として間違っているものは?

  • ゴマサギ
  • アオクビ
  • オホサージヤー
  • ヨガラス
  • イッパイサギ

Q19. アオサギがその正体とされる妖怪の名は?

  • 陰摩羅鬼
  • 姑獲鳥

Q20. 清少納言がサギについてかわいくないと感じた部分は?

  • 目つき
  • 名前

Q21. サギの名は「騒ぎ」に由来すると説いた江戸時代の学者は誰?

  • 石田梅岩
  • 杉田玄白
  • 新井白石

Q22. 「夕風や水青鷺の脛をうつ」この句を詠んだ俳人は?

  • 松尾芭蕉
  • 与謝蕪村
  • 正岡子規

Q23. 鷺大明神を祀ると御利益があるとされた病気は?

  • はしか(麻疹)
  • 疱瘡(天然痘)
  • 梅毒
  • 脚気

Q24. 漱石の小説でサギが登場しないのは?

  • 吾輩は猫である
  • 坊っちゃん
  • 夢十夜

Q25. 『蒼鷺』の名の純米酒をつくっていた酒造会社は?

  • 八海醸造(新潟)
  • 國稀酒造(北海道)
  • 大村屋酒造場(静岡)

はい、お疲れさまでした。今年もまじめなこと、まじめでないこと、どうでも良いこと、いろいろ書いていきますので、どうかよろしくお付き合いください。

【こたえ】
A1. ② A2. ① A3. ③ A4. ② A5. ① A6. ② A7. ④ A8. ③ A9. ① A10. ③ A11. ③ A12. ① A13. ② A14. ① A15. ③ A16. ② A17. ③ A18. ② A19. ③ A20. ① A21. ③ A22. ② A23. ② A24. ② A25. ③

あまりに杜撰な鳥獣管理

先日、北海道アオサギ研究会のほうで鳥獣管理行政についての報告書をまとめました。報告書は「アオサギの有害駆除に係る問題点に関する報告」というもので、行政に対する批判を書き連ねた内容になっています。読んでいただけば、行政のあまりのひどさにびっくりされることと思います。ただ、こんな風に紹介したところで、この手の報告書はまず読まれないのですね。よほどの関心がない限り。そこで今回は報告書を読まなくても問題の概要が分かってもらえるように、ここで内容をかいつまんで紹介したいと思います。これを機に鳥獣管理行政の実態に少しでも問題意識をもっていただければ幸いです。

figそもそもなぜこんな調査をはじめたかというと、アオサギの駆除数の異常な激増ぶりを知ったことが発端でした。右の図はここでも度々ご紹介してきたのでご記憶の方もいらっしゃるかと思います。全国の駆除数の経年変化を示したもので、平成8年に8羽だった駆除数が平成22年には3,412羽にまで増加しています。近年になってアオサギが増えたことはほぼ間違いありませんが、それだけでここまで極端な事象は説明できません。そこで、その原因を鳥獣管理行政に求めたのが今回の報告書というわけです。調べてみると、案の定とんでもない状況が明らかになりました。以下にその一端をご紹介したいと思います。

ともかく駆除が安易に許可されすぎているのです。本来、駆除とはどうしようもない場合の最終手段であって、徹底的に防除を行ってもまるで被害が収まらず、人的、経済的被害が甚大で、とても許容できるレベルでないとなった場合に止むを得ず鳥獣を犠牲にするものです。このことは鳥獣保護法にもはっきり書かれています。それが、防除すら行わずにいきなり駆除申請し、しかもそれが難なく許可されるケースがあまりに多いのです。一応、防除を行っている場合でも、被害額が示されていなかったり、被害額が示されている場合でも根拠が出鱈目だったり、この辺のいい加減さは数え上げれば切りがありません。ひどい場合には、何の被害なのかも知らずに駆除が許可されているのです。単に「有害だから」というのが理由として認められ、それだけで駆除が許可されるわけです。法の規定もへったくれもありません。もちろんこれは極端な例ですが、鳥獣管理行政では全国的にこのようないい加減さが蔓延しています。これを大袈裟と思われる方はぜひ報告書のほうに目を通してみてください。

それにしても、なぜこのようなことが放置されているのでしょうか。端的に言えば、行政が鳥獣管理をまともに実施していくだけの人的リソースや予算をもっていないことが原因です。限られたリソースの中で鳥獣管理を行おうとすれば、どうしても希少鳥獣の保護や被害の大きい特定鳥獣などへの対応が優先され、アオサギなどのいわゆる一般鳥獣への対応は後回し、というか、ほぼ無視されることになります。たとえばこれが人の生活に関わってくる問題であれば、不満をもつ人たちがそのうち声を上げることになるのでしょう。しかし、そこはもの言わぬアオサギのこと、行政に彼らの苦情が届くはずもなく、問題が表面化することのないまま駆除数だけが毎年異常なペースで増え続けているのです。

人がいない予算が無いというのはたしかに深刻な問題です。実際、市町村では、鳥獣管理の担当者がいても課として独立した部署があるわけではなく、産業振興課とか農林土木課といったところで細々と仕事をしている場合が大半です。それでもその担当者が鳥獣管理についてのきちんとした見識をもっていれば問題はありません。しかし、人材が豊富な大都市ならともかく、限られた数の職員しかいない小さな町や村にそれを期待するのはかなり難しいと思います。許認可業務の手順をこなすことはできても、駆除を行うべきか否かといったことについては、鳥獣の生態についての十分な知識と、さらに言えば動物に対する適切な倫理観がなければ正しい判断は下せないからです。もっとも、担当者ひとりの判断で事が動いているわけではないと思います。鳥獣保護員や地域の識者に意見を求めるなどできることはやっているはずです。しかし、それで上手くいっていないことは今回の調査結果であまりにも明らかです。

ところで、このように書くと、ここで問題視しているのが市町村だけのように思われるかもしれませんが、問題なのは都道府県も同じです。というのは、駆除の許認可業務は都道府県主体で行っている場合もあるからです。そもそもアオサギ駆除の許認可業務はもともとは国の仕事でした。それが小泉政権のときに何でもかんでも地方分権推進ということで、駆除の許認可業務が都道府県に移され、それだけでなく、都道府県が市町村へ同権限の委譲を行うことも可能になったのです。なので、現在の駆除業務は都道府県自ら行っている場合もあれば市町村が行っている場合もあります。そして、どちらがやったところでそのいい加減さにたいした違いはありません。実際、都道府県の鳥獣管理行政も市町村のそれに勝るとも劣らないほど問題が多いのです。なにしろ鳥獣保護法の規定すらろくに理解していない人もいるくらいですから。逆に、市町村のほうでは都道府県の担当者などより鳥獣管理についてはるかに深い見識をもつ担当者もいますし、地域密着の視点をもてるという市町村ならではの利点を活かし理想的な鳥獣管理ができている場合もあります。結局のところ、都道府県も市町村も担当者次第なのですね。ただそうは言っても、平均的な話としては、都道府県と市町村では駆除への対応に差があることは認めなければならないと思います。単純な事務処理は別として、駆除を行うべきか否かといった総合的な判断が求められるところでは一定レベル以上の専門性がどうしても必要になります。そうなるとそれだけの人材がいるのかという話になりますが、市町村ではもとよりいないところのほうが多いでしょう。にもかかわらず、そういった本来であれば業務を受ける資格のない市町村が駆除を行っているのが実情なのです。たとえば、市町村の中には、対処捕獲(被害が発生してから行う駆除)や予察捕獲(年間計画に基づいた駆除)といった駆除を行う上での基本的な用語さえ知らない担当者がいたりします。こういったことはさすがに都道府県ではありません。都道府県は最低でもこのレベルは保っているだろうというのがありますが、市町村ではその底が無く、ダメなところは徹底的にダメなのです。そういうダメな市町村に鳥獣の駆除業務が任せられると、アオサギの運命はもう悲惨というほかありません。

その無茶苦茶な鳥獣管理行政の実態を具体的にご紹介しようと思って今回書きはじめたのですが、前置きだけでこんなに長くなってしまいました。年の瀬の慌ただしい折、こんなサイトで時間を潰していただける御奇特な方はあまりいらっしゃらないかと思います。ということで、つづきは年が改まったらまた少しずつ書いていきます。その時はまたお付き合いください。なお、今回の話題については異論のある方も多いと思いますし、さまざまな観点から大いに議論が必要と考えています。ご意見などありましたら掲示板もしくはtwitterのほうまでぜひお寄せください。行政関係者のご意見も大歓迎です。

では皆さん、良いお年をお迎えください。

鷺の社

今月上旬、愛媛の神社2社を訪ねてきました。もちろん、ここに書く内容ですからどちらもサギに関係した神社です。

ひとつめは今治市にある三嶋神社。この神社のことはこちらのブログで初めて知りました。何を隠そう、ここには鷺大明神が祀られているのです。神社の様子は同ブログで詳しく紹介されているので御覧になってください。田園地帯にあって、鬱蒼とした森に木漏れ日がきれいな神社でした。

三嶋神社-1この神社の祭神は大山津見命です。そもそも三嶋神社というのは名前から連想されるとおり三島水軍に縁の深い神社なのだそうです。そして、水軍の神さまというと、瀬戸内のほうでは大山祇神になるのですね。何と言っても海の神さまですから。一方、鷺大明神はというと、ひっそりした神社のさらに片隅で小さな祠に鎮座していました。「鷺大明神」の名もしっかり読み取れます。

三嶋神社-2もっとも、鷺大明神はここだけの神さまではありません。もともとは出雲のほうの神さまで、あの辺りではいくつもの神社で祀られているそうです。そこから各地に分祀されていったのでしょう。中国から四国へ渡るとき水軍が関係していたのかどうか、そうでなくても鷺の神さまですから瀬戸内の海ぐらいひとっ飛びでしょうけど。

ところで、水軍といえば、元寇で名を馳せた伊予水軍の河野道有に次のような逸話が残っています。

昔、弘安四年の蒙古襲来の時、河野道有は本社に參詣して祈願を籠め、筑前博多に向かつたのに、不思議や、神の使「白鷺」の案内があつて、遂に大捷を博したことは有名な話である。「今治郷土読本」(昭和12年刊行)

ここでは鷺大明神ではなく神の使いになっていますね。そして、注目すべきはその鷺がシラサギだということです。おそらく鷺大明神もシラサギだったのでしょう。昔は単に鷺といえばシラサギを指していましたから。

宮鷺神社ところが、神社に縁のある鷺はシラサギだけかというとそうではないのですね。それが今回訪れたもうひとつの神社です。社名を宮鷺神社といいます。こちらは八幡浜市の山間部、細いくねくね道の峠の先にありました。小さな集落の小さな鳥居をくぐり、急な石段を登っていくと、ここもまた鬱蒼とした森。樹上にはアオサギの巣が…、あるはずもなく、ただ森閑とした森の中に神社がぽつんとありました。小さいけれどこれが本殿です。どこかに鷺の名前でもないかなと探しましたが、一向にそれらしいものは見当たりませんでした。

じつは、宮鷺神社というのは明治の末に別の神社と合祀されたときに付けられた名前で、それまでは青鷺神社と呼ばれていたのです。正真正銘、アオサギです。なぜアオサギなのかと言うと、その昔、この集落で疱瘡(天然痘)に罹って死んだアオサギを祀ったからなのだそうです。昔の人々にとって、疱瘡はそのためにお宮をつくらないといけないほど恐ろしい病気だったということですね。もちろん実際にアオサギが疱瘡に罹ることはありませんが、この場合、どうしてもアオサギでなければならないのです。もっともシラサギでも構いません。けれども他の動物ではなく必ずサギでなければならないのです。なぜなら、鷺大明神こそが疱瘡神だからなのです。

出雲の国から瀬戸内を渡り、今治、八幡浜へとあてどない旅をつづけた鷺大明神。天然痘が根絶された今となっては、もはや舞い降りるべき土地すら無いのかもしれません。大任を背負い人々から絶大な信仰を集めたのも今は昔。木漏れ日の森に忘れ去られたように佇んでいた祠やお堂を思うと、やはり一抹の寂しさを覚えずにはいられません。

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