アオサギを議論するページ

アオサギのイメージいろいろ

nenga明けましておめでとうございます。
本年もまたゆるゆるとやっていきますので、お時間のあるときにお立ち寄りいただければ幸いです。

今回は正月らしく肩の凝らない話題をということで、アオサギという鳥がどのような印象をもたれているのかを、ネット上の言葉から拾ってみました。ここふた月ばかり、思いついたときにツイッター内を「アオサギ」で検索して集めたものです。

まずはポジティブな評価から。

・アオサギが好きです
・アオサギだー(*◎∀◎)!!この鳥大好きなんです♪

これはストレート。何もコメントすることはありません。好きなものは好きなんだから仕方がないですね。

ということで、もう少し具体的な印象を見てみます。アオサギを形容する言葉でもっとも目に付いたのは、なんと「かっこいい」という表現でした。

・アオサギ、カッコいいですよね。
・アオサギかっこいい。
・あの鳥格好いいですよね!
・アオサギかっこいいよアオサギ。
・青鷺さん、白鷺さんはやっぱりカッコイイ!
・アオサギは立ってるところもかっこいいです。
・アオサギのヒナ♪なんてカッコいいんだ!(*゜∇゜)q
・スタイリストのアオサギ格好良いですね。
・獲物を狙って佇む感じがプテラノドンぽくてかっこいいです。
・アオサギは、いつ見ても一匹狼で仙人の様な佇まいが、格好いい。
・!やべえ!近い!でかい!格好良いー!!。+゜(ノД`*).:。もううう大興奮!

スタイルのかっこよさもあるんでしょうけど、他を簡単に寄せ付けない佇まいにかっこよさを感じている人も多いのかもしれません。

一方で、「かわいい」と感じる人も。

・わあ可愛い!
・わー可愛いのいた!!
・頭の後ろの長い黒冠羽2本が可愛い。
・アオサギさんはひとりで遠い目してるのがかわいい。

「かわいい」というのは「かっこいい」に比べると適用範囲の広い言葉ですから、同じものを見ても、なんでこんなのがかわいいのか、という場合もあると思います。けれども、嘘でも誇張でもなく、あんなアオサギでも文字通りかわいく見えることがあるんですよ。

その他、肯定的な印象のツイートを並べてみます。

・白サギと感じ違うねwなんかワイルドww
・アオサギがすごく綺麗
・アオサギってばっさばっさ感も含めて白いのよりも優雅(主観)なところが好きです。
・優雅と形容したくなりますね。
・あの優雅な足さばきに、ほれぼれ~。羽を大きくひろげて飛んでいくところに、くらくら~って^^♪
・美しくっていつも心をすっと元に戻してくれる。
・いつ見ても大きく、優雅で存在感を醸し出す鳥です!!
・群れずに一匹狼で、仙人の様な佇まい。その様が、いつも実に凛々しい。
・アオサギはダイサギより大きいんですよ色もおしゃれ
・アオサギきたwwwwあいつの存在感異常

みなさん、さまざまな印象をもたれているのですね。どの感想にもいちいち共感できます。

では続いて、ネガティブイメージ、行ってみましょう。

・なんかダミ声なんですよアオサギて。
・ぐえーぐえーってアオサギの鳴き声かっこわるい
・アオサギって「がらがらがらがらぁ…」って品の無い鳴き方
・アオサギの声って結構大きくて汚いですよね(^^;)
・怪鳥の雄叫びっぽい感じで鳴いています。
・すっごく鳴き声が汚いんですよ(主観)。油差してないブランコ揺すった音みたいな声で鳴くの。

なにもそこまで具体的に書かなくてもと思いますが、一番の不人気はやはり声なんですね。ただ、これは日本人の感性によるところが大きいのかもしれません。実際、英文で書かれたものには、声が悪いというのは一度も見たことがありませんから。この辺は、感性というか、美意識の違いということになるのかなと。アオサギの声と一口に言っても、彼らはいろいろな鳴き声をもっています。偏見を取り払って耳を澄ませば、意外に清らかな声に聞こえるかもしれません。

あと、とくにネガティブなイメージというわけではありませんが…。

・目が怖いんだよな・・・
・生で見ると恐竜みたい
・プテラノドンかと思ったわ。
・恐竜に近い生物やと思ってます。
・暗闇に響くアオサギの声。ジュラシックパークの世界のようだ。
・なに考えてるのかわからない度が高い

これもよく分かります。私もアオサギに初めて遭ったときは、プテラノドンかと思いましたから。その直後にコロニーを見て、ジュラシックパークに迷い込んだかと。あれは衝撃的な体験でした。「なに考えてるのかわからない」というのも、アオサギに爬虫類的で恐竜チックな目を見てしまうからなんでしょうね。

そんなわけですから、アオサギとの遭遇は、ときに恐怖体験にもなります。

・夜道に何度こいつにびびらさせられたことか…。
・でかいアオサギが道の真ん中に立ってて、一瞬めっちゃスリムな人影に見えてびっくりしたりもしますw
・川の中に幼稚園くらいの子供が立っている!と思ったらアオサギだった(;´д`)急に飛び立ってこちらにきたので、ラドンに襲われたらこんなん感じか?と思った。怖かった!

江戸時代には、アオサギは妖怪だったわけですし、その雰囲気は今でも多少残っているのかもしれません。ときどき人を驚かせてみたくなるのでしょう。

・すごいふてぶてしい態度しちょるし。とりあえず敵と認識

まあ、そう言わずに、とりあえず良いところも見つけてください。

なんだかんだ言っても、好悪の感情にかかわらず、ここまで多様な見方をされる鳥というのはそう多くない気がします。それがアオサギの魅力でもあるんですね。

そんなことで、今年も、かっこよく、かわいく、野性味があって、きれいで、優雅で、美しく、凛々しく、おしゃれで、存在感があって、恐竜みたいで、声に品のない鳥のことについて、あれこれ書いていこうと思っています。本年もどうぞよろしくお願いします。

アオサギ写真展のお知らせ

この冬、内海千樫氏によるアオサギの写真展が催されます。内海さんは北海道幌加内町にお住まいの動物写真家で、長い年月をかけてアオサギだけを撮りつづけています。写真展を開催されるのは2003年以来、今回で5回目。その都度、ここでもご紹介させていただきました。ただ、これまではすべて道内での開催でしたが、今回はいよいよ東京に進出されるようです。過去の作品からの選りすぐりを集めた総集編ということになるのではないでしょうか。写真展のタイトルは、『水辺の貴公子「アオサギ」』です。

開催期間と会場は以下のとおり、入場は無料です。
期間:2013年2月7日(木)〜2月13日(水)午前10時〜午後6時(最終日は午後3時まで)日曜休館
会場:東京都新宿区新宿1-4-10アイデム本社ビル2階アイデムフォトギャラリー「シリウス」(地図

アオサギばかり、これほど腰を据えて撮り続けた方は他にいません。いずれ写真集を出されるのではないかと期待していますが、それはそれとして、やはり大きなサイズでも一度見ておきたいもの。東京近辺にお住まいの方、アオサギの世界を体験しに会場に足を運んでみてはいかがでしょうか。

何がアオサギを殺しているのか?

11月も残り数時間となり、ここ札幌はすっかり冬景色に落ち着いてしまいました。しばらく前からアオサギの気配もとんと感じません。おそらく、渡りはほぼ完了したはず。今なお残っているのは越冬の覚悟を決めたサギたちばかりでしょう。北海道全体でも、もう100羽とはいないのではないでしょうか。

さて、今回は久々に保護関係の話を書いてみたいと思います。保護ではなく、じつは駆除の話です。今回、紹介したい内容は、右のグラフにすべて言い尽くされています。このグラフは、全国のアオサギの駆除数が、ここ十年ほどの間にどのように変化してきたかを示したものです。もううんざりするほど見事な右肩上がりです。しかも、これは100羽から200羽になったというような増加ではありません。そのていどであれば、アオサギの個体数が倍増したのが原因との見方もできます。実際はどうかというと、平成8年に8羽だったのが、平成21年には3,144羽に増えているのです。倍増どころの騒ぎではありません。

この間に全国のアオサギが増えたことはおそらく間違いないと思います。ただ、増えたとしてもせいぜい数倍です。ここまでの増加を説明できるような増え方はしていません。あるいは、街中にアオサギが進出してきたことでトラブルが増加した可能性も考えられます。けれども、それもここ十数年で突然起こった現象ではありませんし、それによって多少駆除が増えたとしても、これほどの激増を説明できるものではありません。ともかく、アオサギの生息状況の変化そのものに駆除数増加の原因を求めても無駄なのです。

では、何がここまでアオサギの駆除を後押ししているのでしょうか。私は、駆除の許認可システムに大きな問題があると見ています。アオサギの駆除というのは、以前は国が捕獲を許可する権限をもっていました。しかし、平成11年に地方自治法の改正があって、駆除の許認可を市町村の裁量で行うことが可能になったのです。都道府県が許認可を行っているところは現在でもありますが、市町村にすべての権限を委譲しているところも少なくありません。そして、これが駆除数が増加しはじめた時期とほぼ一致するのです。

それまでは駆除申請を出せば、それを許可するかどうか判断するのは都道府県の担当者、そして最終的には国でした。それが市町村の役場内ですべて完結するようになったわけです。そうなると何が起こるかは火を見るより明らかです。地元の人から面と向かって頼まれるのですから、額面どおりに法律を解釈して、毎回突っぱねているわけにはいかないのでしょう。

それでも、アオサギに対するちゃんとした管理計画があるのなら、まだ救いはあります。しかし、管理計画のかの字もありません。これは市町村に限らず都道府県ですらほとんどありません。アオサギのような広い範囲を生息地とし、長距離の渡りを行うような鳥は、都道府県で連携した個体群管理計画がぜひとも必要です。ところが、都道府県どころか市町村レベルで、独自の判断による無計画な駆除が行われているのが実情です。たとえば、ひとつの県だけで年間1,000羽近くを駆除していたケースもあるのです。狂気の沙汰としか言いようがありません。

そんなことで、今、全国の都道府県を対象にアオサギの駆除に関する実態調査を行っています。2、3ヶ月先になると思いますが、結果がまとまり次第ここでもお知らせしたいと思います。おそらく目を覆いたくなるような実態が浮き彫りになるはずです。

今回、ここで用いたデータは、環境省が公開している鳥獣関係統計からのもので、こちらのページで見ることができます。ただ、御覧いただければ分かりますが、現時点でも平成21年度のデータまでしかありません。24年度ももう3分の2を終えようというのにこんな有様なのです。これは、環境省が手元にデータをもっているのに公開していないというわけではたぶんないと思います。というのも、今年の春に各都道府県に問い合わせた際、まだ22年度のデータを集計し終えてないところがあったからです。現在の状況が2、3年先にならないと分からないようなことで、どうすれば管理計画など立てられるでしょうか。そんなお粗末なシステムの中でいたずらに殺されていくアオサギが不憫でなりません。

私はアオサギの数値しか見てませんが、これはたぶんアオサギだけの問題ではないはずです。他の種類の鳥に関心がある方、ぜひ上記ページにある数値を拾ってみてください。

10月の詩人

秋は英語でfall。季節が冬に向けて落ちて行ってる感じですね。コムケ湖のフラミンゴも自由への逃亡劇をいよいよ第二幕目に移したみたいですし、アオサギの渡りもいよいよ終盤。そして、10月も今日でおしまいです。

その10月のうちにどうしても書いておきたいなと思ったのがウェールズの詩人、ディラン・トマスのこと。彼の詩にはアオサギがよく出てきます。アオサギが登場する詩は4編あり、そして、このうち2編が10月の季節を書いた詩なのです。アオサギが10月に縁が深いというわけではありません。ディラン・トマスは自分の誕生日に何か特別なものを見いだしていた人で、20歳、24歳、30歳、35歳と4度も誕生日にちなんだ詩をつくっています。そして、その彼の誕生日が10月なのです。

これら4編の詩でアオサギが登場するのは30歳と35歳のときの詩。それぞれ「十月の詩」、「彼の誕生日の詩」とタイトルが付けられています。これらの作品に登場するアオサギはただの自然の点景ではなく、常に意味のある記号として現れます。それはときに彼の分身であり、ときに死の隠喩でもあります。さらには、そのアオサギを通してトマスの古代ケルトへの憧憬が仄見えたりもします。

アオサギと古代ケルトのイメージを結びつけたのは近代ではおそらくイェイツが最初だと思います。アイルランドのイェイツに対して、ウェールズのトマス、いずれも同じケルト文化圏に生きた詩人です。そう考えると、トマスがイェイツと同じアオサギのイメージを自らの詩に取り入れたのはごく自然なことだったのかもしれません。おそらく、ケルト文化におけるアオサギの存在感というのは想像以上に大きいものなのでしょう。

そんなトマスにとってアオサギがいかに特別な鳥だったかが分かるエピソードがあります。35歳のとき、「彼の誕生日の詩」を書き始める直前、彼は3人目の子供を授かっています。彼はこの息子をコルム・ギャラン・トマスと名付けました。このギャランという語はウェールズ語でアオサギのことなのです。

トマスの誕生日をうたった詩は35歳のときの「彼の誕生日の詩」が最後です。もし40歳のときに作っていたらどんな詩になったのか、その詩でもアオサギはまだ彼の特別な鳥であり続けたのか、それは誰にも分かりません。彼は40の秋を迎えることなくこの世を去ってしまいました。この10月、もし彼が生きていたら98回目の誕生月でした。

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