アオサギを議論するページ

謹賀新年

新年、明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いします。

先日、ツイッターで「ゴマサギ」という懐かしい名前を目にしました。そんな名前のサギ、聞いたことない、というのはごもっともで、これは特定の地域でのみ聞かれるアオサギの呼称なのです。

この名をツイートされたのは東北の方でした。なんでも岩手県の南部のほうではアオサギではなくゴマサギと呼ぶのが普通なのだとか。まあ岩手南部と言ってもすべての地域ではないかもしれませんが、この方によると宮城県北部でも年配の方がそう言うのを聞いたことがあるとのことなので、局所的ではなくあの辺り一帯あるていど広い範囲で使われている呼び名なのでしょう。

で、私はどこで聞いたのかというと、北海道の別海町です。今から20数年前、別海町の漁師さんからその名をはじめて聞かされました。なぜゴマサギと呼ぶのかについては尋ねませんでしたが、たぶんアオサギの首の前にある黒い点々模様に由来するのだと思います。先の東北の方も「喉の模様が胡麻を撒いたみたいにみえるから」とおっしゃっていましたし。

私がゴマサギの名を別海ではじめて耳にしたときは、てっきりその方々だけが内輪でそう呼んでいるだけだと思ってました。それが今回、岩手、宮城でもそう呼ぶのだと知り、懐かしさを感じるとともにびっくりしたわけです。さらに、そうこうしているうちに、関西の方からあちらでもゴマサギと呼んでいるとの連絡がありました。この方の場合はアオサギの幼鳥をとくにゴマサギと呼ぶのだそうです。ゴイサギの幼鳥がホシゴイと呼ばれるのと似たようなものですね。

おそらく他にもゴマサギと呼ぶ地域はいくつもあるのでしょう。そうした地域の分布図をつくれば何か面白い発見があるかもしれません。それは単に人の移住によって新たな地域に伝えられただけかもしれませんけど、もしかするとアオサギの生息域の変化を反映している可能性もあります。その昔、ゴマサギ呼称圏は今よりもっと広範囲だったかもしれません。その中である地域からある程度長い期間アオサギがいなくなってしまうと、再びそこにアオサギが戻ってきても、そのときはすでにゴマサギの名は忘れ去られ、ずっとアオサギがいつづけた地域にだけゴマサギの名が残るといったこともあるように思うのです。

いつかアオサギの呼び名の調査をしてみたいですね。そうしたユニークな名前が忘れ去られてしまわないうちに。

アライグマ、何度でも取り上げるべき問題

アライグマの問題についてはアオサギが関わる部分を中心に当サイトでも折に触れて記事にしています。けれども、なかなか一筋縄ではいきません。ましてアライグマの駆除に関わる部分になると、いろいろ面倒な問題が付随してきてなかなかまとまった話にならないのです。そんな折、アオサギを研究する立場としてアライグマについてどう思うかと某メディアに意見を求められました。せっかくなので、今回はその取材で答えた内容を中心に、いつも以上に自分の意見を前面に出して書いてみようと思います。

ご存知のとおり、アライグマは北海道はもとより日本にはもともといなかった動物です。それがいろいな経緯を経て自然界に定住するようになり、その結果、農業や在来の生態系に被害をもたらすようになった、その対策として盛んに駆除を行っているというのが現在の状況です。アライグマの生息状況と駆除の現状については道のほうから簡単なレポートが出てますのでご参考に。なお、今回ここでは生態系の被害についての話題のみ取り上げ、農業関係についてはまったく考慮しません。その点はどうかご了承ください。

ということで、まずはアオサギへの影響です。具体的にどのような影響が出ているかについては、これまでに散々書いてきたので繰り返しません。もし興味のある方は過去の記事(『どこに避難すべきか』、『21年目のコロニー』)をご覧いただければと思います。

いずれにしてもアオサギの立場に立てばアライグマが厄介な存在であるのは間違いありません。いないほうが良いに決まってます。けれども、アオサギとアライグマの関係を見続けていると、一方的にアライグマを根絶せよという論調には私はかなり抵抗があります。アライグマの駆除のことは私は門外漢でよく分かりませんが、外野から見ていると、具体的なビジョンがないまま、なし崩し的に駆除を続けているように思えて仕方がないのです。駆除に関わる当事者にしてみれば、北海道からアライグマを根絶するのが至上命題なのだろうと思います。けれども、本当にそんなことが可能だと心の底から思っているのでしょうか? 闇雲に根拠のない期待だけをもって当てのない目標を追求している、という可能性はないでしょうか? もしそうだとすれば、それは戦時中の一億総玉砕と変わりません。とても危うい考え方だと思います。

さらに問題なのは、北海道の在来生態系の保護にとって外来種は絶対悪だとする考えがあまりに強く信奉されていてることです。これはアライグマの根絶以外の選択肢を考えることをタブー視する風潮にも繋がっています。こうした原理主義的な考えは問題の解決にとって障害になるだけで何の利益も生みません。要するに、もう少し冷静かつ客観的に現状を捉える必要があるのではと思うのです。

再びアオサギに話を戻します。アオサギが被害を受けているのは間違いのないところで、その影響がかなり大きいものであることも確かです。しかし、他の生き物についてはどうでしょうか? 実際、アオサギ以外となるとその影響はごく僅かしか理解されていないのです。にもかかわらず、アオサギがあんなだから他の生き物も似たようなものだろう、生態系全体が大変なことになっているに違いない、そう考える人は決して少くありません。

自分たちに身近な在来の生態系がアライグマに壊される、そのことを懸念する気持ちはよく理解できます。けれども、実際、どのていどの影響があるのかについては、漠然とした懸念から憶測されてるのみで、具体的、客観的な評価が行われているわけでありません。これは問題です。たとえば、北米のアライグマについてこんな報告があります。アライグマの侵入の前後でその土地の鳥類相がどのように変わったかを追跡した研究なのですが、それによると、アライグマが生息するようになってからのほうが鳥類相はむしろ豊かになったそうです。このように、アライグマの存在は必ずしも生態系にマイナスに働くとは限りません。

もちろん、北米と違って北海道ではアライグマは外来種という立場ですし、それこそが問題なのだと反論する人もいるでしょう。たしかにアライグマを在来生態系に取り込んでしまった以上、従来の生態系が変わることは避けられません。また、外来種であるが故に想定しずらい変化もあるかもしれません。しかし、それでももしその変化が僅かであるなら、その僅かな変化をも拒絶することにどれだけの意味があるのだろうかと私は思うのです。僅かな変化でもただで抑えられるものならそうしたほうが良いでしょう。けれども、実際はその変化を生じさせないために途方もない時間と労力を投入し、何万、何十万頭というアライグマの命を奪わなければならないのです。しかも、その行為が人間の思惑どおりの結果を生むという保証はまったくありません。

重要なのは変化の程度を見極めることです。そして、その変化が小さく許容できるものであれば、敢えてアライグマを追い出す必要はないと私は考えます。アライグマが生態系の一員として存在することを認め、その上でアライグマの在来生態系への影響を最小にする方法を考える、それは無視することのできない有効かつ実際的な選択肢のはずです。

最後に、もうひとつこの問題で忘れてはならないことがあります。それは、北海道のアライグマがいかに問題のある生き物だとしても、彼らも我々同様に命ある存在だということです。命には外来と在来の区別はありません。仮に北海道のアライグマの駆除が、明確なビジョンもないまま、外来種だからという理由だけで徒に命を奪い続けるものだとしたら、それは命の尊厳を冒涜するものであり、倫理上、到底許されることではありません。動物の命の問題は重く受け止められるべきであり、鳥獣対策を考える場合、その根底で常に意識されて然るべきものです。今回のアライグマ問題について言えば、そうした意識が共有されるようになって初めて、問題の解決に向けて光が見えてくるのではという気がします。逆に、その辺の意識が変わらなければ、今回のアライグマと同様のことがこれから何度でも繰り返されるでしょう。今回はたまたまアライグマでしたが、場面が違えばいつそれがアオサギに置き換わっても不思議ではないのです。

21年目のコロニー

私がよく観察に行く江別コロニーは、アオサギが営巣を始めてから今年で21年目になります。今年も例年と同じく3月半ばにはコロニーに飛来し、ほどなく巣作りが始まりました。早いところでは4月下旬にはヒナが生まれています。5月も順調。今年はいつになく4羽兄弟のヒナが目につき、例年以上に餌条件に恵まれているなと思っていたくらいです。ところが、6月になってにわかに様子がおかしくなりました。それまで比較的大きなヒナが3羽、4羽といた巣が次々と空っぽになっていったのです。そして、現在、コロニーで営巣を続けているのはたった2巣。例年なら巣立ちビナがあちこち飛び回って大賑わいの時期のはずなのに、このふたつの巣に巣立ち間近のヒナが5、6羽いるだけなのです。すでにコロニーを離れているヒナを合わせても、今年ここから巣立つのは最大で16羽ていどです。江別コロニーの規模は百数十巣で、札幌近郊はもとより石狩地方でもかなり大規模な部類に入ります。仮に100つがいとしても、1巣あたり2羽のヒナで200羽。5月の時点では少なく見積もってもそのくらいのヒナはいたはずなのです。それが16羽ですから、今回の状況がいかに異常なのか分かっていただけるかと思います。

じつはこのコロニー、おかしくなったのは今年が初めてではなく、数年前から予兆はありました。コロニーの範囲が端のほうからだんだん縮小していたのです。そして、昨年はとうとう1ヶ所にまとまりきれずに、一部のサギたちが200mほど離れた場所にお引っ越し。真ん中に交通量の多い道路を挟んでコロニーが真っ二つになったわけです。何かおかしなことが起きているというのは私もはっきりと感じていました。そして、今年の惨状です。

何が原因なのかはっきりしたことは分かりません。ただ、何週間もかけてコロニー全体で少しずつ削られるように失敗していくという状況を考えると、少なくとも人の活動による影響ではないと思います。となると考えられるのは捕食者。そして捕食者と言って真っ先に思い浮かぶのはハシブトガラスです。実際、ここのコロニーでは毎年かなり多くのヒナがカラスの犠牲になっています。けれども、今回は被害の規模が桁違いな上に、カラスでは襲えないようなそうとう大きく成長したヒナでもある日突然いなくなっているのです。つまりカラスの仕業ではありません。しかも、いなくなるときは兄弟皆いっせいにいなくなる。捕食者を考えるなら、かなり強力な捕食者を想定する必要がありそうです。オジロやオオワシ、クマタカといった大型の猛禽なら可能かもしれませんが、これらの鳥はこのコロニー周辺にはいませんから除外して良いでしょう。そうなると、犯人はだいたい絞られます。空からではなく地上からの捕食者、アライグマです。

江別コロニーのサギたちは、21年前までは10キロほど離れた野幌コロニーにいたと考えられています。ところが、その年、野幌コロニーはシーズンの真っ最中に突然放棄されてしまいました。そしてそこから移ってきたサギたちでつくられたのが江別コロニーというわけなのです。野幌コロニーが放棄された原因については今も確かなことは分かっていません。ただ、状況証拠からアライグマに襲われたのだろうというのが定説になっています。実際、野幌コロニーからさほど遠くない岩見沢のコロニーでは、数年前、アライグマがアオサギの巣に這い上って行くのを私は目撃しています。なので、野幌もおそらく同じような状況だったのだろうというのは容易に想像できます。江別コロニーは、そんな野幌コロニーから逃げてきたサギたちの避難所だったわけです。小さな河畔林で周囲が住宅地という環境なので、これまでアライグマがアプローチできなかったのでしょう。けれども、彼らがやって来るのは時間の問題でした。残念ながら今回とうとう見つかってしまった、ということなのだと思います。今のところ何の証拠があるわけでもなく、アライグマに濡れ衣を着せているだけかもしれませんが、アオサギとアライグマのこれまでの経緯を考えるとその可能性は高いと思うのです。

何が原因にしろ、江別コロニーの今シーズンは夏を待たずにほぼ終わってしまいました。いま残っている5、6羽のヒナたちも、あと1週間もすればコロニーからいなくなるはずです。そしてもしかすると、このヒナたちは、江別コロニーで代々巣立ってきた何千羽というヒナたちの最後の数羽になるかもしれません。これまで毎年来てくれていた彼らが来春はもう戻ってこないと想像するのはとても寂しいことです。けれども、ここまで壊滅的な被害のあった場所に来年もまた戻ってきてほしいと願うのはあまりに酷というものでしょう。アライグマが北海道じゅうどこにでもいるようになった現在、アライグマが来ない場所を見つけるのは至難の業だと思いますが、アオサギの叡智をもってすればきっと何とかなるはず。来年はこことは違う別のどこかに安全に子育てできる場所を見つけてほしいと願わざるをえません。

どこに避難すべきか

最近は街中にもよく現れるアオサギ。そんなアオサギしか知らないせいか、アオサギが水鳥ということに違和感を感じる人もいるようです。けれども、アオサギは紛れもなく水鳥。基本的に水域に依存して暮らしています。ただ、水鳥のくせに木の上に巣をかけるのが面白いところで、水鳥としては少々異端とはいえ、それが昔ながらの彼らのやり方なのです。ところが、最近の北海道では、とても樹林とは言えない場所でアオサギが営巣するようになっています。たとえ樹林であっても、周辺環境がかなり変わっているのです。この傾向については当サイトでも何度か書いてきました(たとえば、風変わりな営巣地その1その2その3シタン島コロニー)。今回、その話をこちらの論文にまとめましたので、あらためて紹介したいと思います。本文は英語ですが、簡単な内容なので文を読まなくても図や写真でだいたいのことは分かっていただけるのではと思います。

さて、その風変わりな営巣地、どんな風に変わっているのかというと、巣の周りがぐるりと水で囲まれているのです。樹林の下半分が浸水したヤナギ林だったり、水面に浮かべられたブイの上だったり、洋上の小さな島の上だったり、いずれも従来の営巣地からは想像できない環境です。北海道ではこうしたコロニーが1990年代から見られるようになりました。右の図はそんな変わった営巣地をプロットしたものです。丸で示した箇所が2016年までに確認されたコロニーで153ヶ所あります。このうち白丸が従来型のコロニーで、黒丸で示した9箇所が水で囲まれたコロニーです。

問題はなぜこのような場所で営巣しはじめたのかということ。別に樹林が少なくなったわけではありません。樹林はもとのままなのですが、どうやらそこに住んでいては不都合な状況が生じたようなのです。図に3ヶ所ある灰色の丸は、アオサギにとって大きな事件のあったコロニーを示しています。じつはこのうちの1ヶ所はヒグマに、別の1ヶ所はアライグマに襲われたことが確認されています。両コロニーとも、ヒグマやアライグマが木に登りヒナを捕食するのが実際に目撃されているのです。もう1ヶ所は直接目撃されてはないものの、状況証拠からみてアライグマに襲われた可能性が高いと考えられています。

アオサギがいくら高い木の上に巣をつくっていても、ヒグマやアライグマのように木登りの得意な捕食者がいれば、彼らと地続きの場所に住んでいる限り安全ではありません。そんな地上性の捕食者から逃れようとすれば、彼らと自分たちの間に何らかの物理的障壁をつくるのがひとつの手。水域はその障壁としてかなり有望です。直接の因果関係が確認されているわけではないのですが、水域をバリアにした黒丸のコロニーは、地上性捕食者から逃れるためにつくられた可能性が高いと考えています。ここ数十年でヒグマやアライグマが増えたと同時にアオサギも増えましたから、それだけお互いに遭遇する機会も増えたのでしょう。結果として、アオサギはそれまでのように樹上で安穏と暮らすことはもはやできなくなったと。小鳥類なら周りに悟られないようにひっそり営巣することも可能でしょうけど、アオサギにそれは無理な話。そうなると、堂々と営巣しても問題ない場所に引っ越すしかありません。

そんなわけなので、水域に囲まれた場所での営巣は今後も増えるのではないかと思っています。ただ、そのように都合の良い場所は決して多くはないのですね。アライグマがもともと住んでいた北米だと、水辺の地理的な多様性が北海道より格段に大きいですから、サギ類が逃れる場所はまだ豊富にあるのです。一方、小さな国土で地理的多様性が小さい上に、人が多く住む日本では、アオサギの避難所はほとんど残されていません。

けれども、アオサギが素晴らしいのは、そんな窮地に追いやられてもいつもなんとかして突破口を見つけるところ。水辺に適当な場所がなければ、彼らは街中に避難するのです。街には公園や社寺等にアオサギが営巣できるあるていどまとまった樹林が残されています。そこでは水域の代わりに人家や道路が捕食者に対するバリアになるわけです。ヒグマもアライグマもさすがに街中はうろうろできませんから。ただ、街中の樹林はアオサギにとって必ずしも望ましい営巣環境ではありません。ストレスが多い環境でもヒナが食べられるよりはましと、しぶしぶ我慢して避難してきているアオサギも多いはず。私たちはアオサギは適応力があるからどこにでも住めるとついつい呑気に考えがちですが、じつはアオサギにはアオサギなりの止んごと無い事情があるということを頭の片隅に入れておきたいものです。

なお、紹介した論文は”Journal of Heron Biology and Conservation“という雑誌に載っています。名前のとおりサギ類のことだけを扱うとても間口の狭い専門誌です。ただ、それだけにサギ類に興味のある人にはこれ以上ない喜びを与えてくれるものと思います。この雑誌はIUCNの中にあるサギ類のワーキンググループが刊行しているもので、同グループは”Heron Conservation“というウェブサイトも運営しています。このサイトは見かけは地味ですけど、アオサギをはじめ世界中のサギ類に関するありとあらゆる膨大な情報を収納しています。サギ類に興味のある方、ぜひ参考にしてみてください。

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