アオサギを議論するページ

オオアオサギの危機

アオサギの近縁種にオオアオサギという種がいます。外見はアオサギとほとんど変わりません。ただ、名前に「オオ」と付くだけあってアオサギよりひと回り大きめです。生息地である北米ではGreat Blue Heronと呼ばれています。一方、本家アオサギはご存知、Grey Heron。見た目が同じなのに、なぜ片方はblue(青)で片方はgrey(灰色)なのか、これは一考の余地がありそうです。

と、今回はそういう話ではなく、このオオアオサギが存亡の危機に瀕しているというお話です。オオアオサギというのは前述のとおり北米を中心に分布する種で、その個体数は10万から25万とされています。この数から見ても分かるように、種全体としてはとくに保全上の問題があるわけではありません。問題なのはこのうちの1万羽、バンクーバー、シアトル周辺の太平洋岸の一部地域にのみ生息するオオアオサです。北方で繁殖するオオアオサギは秋になれば南へ移動するのが普通です。しかし、ここのオオアオサギは周年同じ地域に定着し、また、他のオオアオサギ個体群と地域的に隔離されていることから亜種として区分されています。”Pacific Great Blue Heron”というのがこの亜種の名前です。和名にするとタイヘイヨウオオアオサギとでも言うのでしょうか。

じつはこのオオアオサギ、2年前に当サイトの「オオアオサギ」のページで紹介したことがあります。その内容はというと、巣立ちヒナ数が以前に比べて半分ほどに減少しており、コロニーも放棄されるものが目立つというものでした。そして、その危機的な状況はどうやらその後も続いているようなのです。問題はその原因。これについてはいろいろ調べてみたのですが、この件は当初から指摘されていたようにハクトウワシの捕食が相当強く影響していると見る人が多いようです。

今シーズンのはじめ、The Seattle Timesにオオアオサギに対するハクトウワシの影響を書いた記事が載りました。この記事ではワシントン州のレントン市のコロニーが取り上げられています。ここも相当な勢いで衰退しているコロニーのようで、2004年に360巣で営巣していたのが2009年には35巣から50巣ていどにまで減っています。この減少分の全てがワシのせいではないにしても、記事を読む限り、ワシによるダメージは相当なものだったことが伺われます。そして、残念なのは、ワシによるこうした被害は、このコロニーだけでなく、オオアオサギの当亜種が生息するワシントンとカナダのブリティッシュコロンビアの両州で広範囲に見られるということです。

もちろん、この地にワシが突然現れたわけではありません。サギもワシも大昔からそこに暮らしていたわけで、おそらく多かれ少なかれワシによるサギの捕食はあったと思われます。けれども、その多くは総体的に見ればバランスの取れた関係であり、片方が片方を生態系から駆逐してしまうようなものではなかったはずです。この点、オオアオサギの将来が真剣に悲観されるような現在の状況は特別です。では、最近になってワシがサギを執拗に襲いはじめたのは何故なのでしょうか?

理由のひとつとして、まず、ハクトウワシの個体数が1970年台以降、確実に増えてきたことが挙げられます。その昔、人類が化学物質の環境への影響について鈍感だったころ、ハクトウワシはDDTに汚染された餌を食べ、汚染された親鳥の産んだ卵は殻が薄くてすぐ割れていました。当然、ヒナは少数しか育ちません。1972年、この年、アメリカではDDTの使用が禁止されました。その後、ワシの個体数は急速に回復します。先の記事によると、ワシントン州のワシの個体数は1980年の時点で105羽。これが2005年には845羽になっています。まったく目を見張る増加です。一方、ワシの本来の生息場所は開発によってどんどん減少していきました。このため、もともとの生息地を追われたワシとサギは限られた環境に同所的に住まざるを得なくなり、これがワシの捕食を助長した面もあるようです。いずれにせよ、オオアオサギにしてみれば、身の回りの危険が年々増えていっている感じでしょう。

同じような状況は日本でも見られます。あちらのオオアオサギとハクトウワシの関係は、日本ではアオサギとオジロワシの関係に置き換えられます。そして、北海道の道東や道北地域では、近年、オジロワシがアオサギのコロニーを襲うところがしばしば目撃されているのです(たとえば2008年の名寄新聞の記事)。幸いなことに、北海道でのオジロワシの増加は北米のハクトウワシの増加ほど急激ではないため、アオサギへのダメージは今のところ限定的です。アオサギにしろオオアオサギにしろ環境の変化に対する順応性は非常に高い鳥ですから、状況の変化が緩やかであれば地域個体群全体としてはそれほど危機的な状況には陥らないのかもしれません。一方、オオアオサギが現在、目の当たりにしている環境の変化は、その環境適応力に優れた彼らにしても御し難いほどスピードが速いということなのでしょう。

先の記事中、サギを専門に研究してきたベネスランドさんは、現状ではひとつがい当たり平均1羽のヒナしか育てられておらず、これは個体群を維持するのにギリギリの状況だとオオアオサギの今後を憂慮しています。また、別の猛禽類の研究者は、この先数年間はサギとワシの関係は非常に際どいものになるだろうと予想しています。事態はオオアオサギにとってもハクトウワシにとってもかなり切迫したものとなっています。その現状の一端は次の資料を見てもらえれば多少イメージできるかもしれません。こちらのブログに書かれているのはバンクーバー市内の公園、こちらのビデオはビクトリア市街のやはり公園内での出来事です。御覧のようにハクトウワシがアオサギのコロニーを襲ったりヒナを連れ去ったりしています。ワシがサギを襲うという特別な事件が、この地域では人々が日常の中で普通に見かける出来事になっています。このような街中にオオアオサギがコロニーを作っているのも驚きですが、そんなところにまでハクトウワシが進出していることにもびっくりです。オオアオサギにとって、ワシのいない営巣場所を見つけるという選択肢はもはや残されていないと言っていいでしょう。何か他の手だてを考えなければなりません。ともかく、ここしばらくはオオアオサギにとって過酷な日々となりそうです。

けっこうハードな状況を書いてきたので最後は少し希望を持って終わりたいですね。ということで、鳥の賢さについての話です。カナダの科学者でルフェーブルさんという方がいます。この方が鳥のIQテストを考案したのだそうです(BBCNewsより)。それによると、アオサギ属というのは全鳥類の中でカラスやハヤブサに次いで高いIQをもっているんだとか。であれば、オオアオサギもこのぐらいの危機は乗り越えてくれるはず。彼らの手腕に期待しましょう。

闇夜の声

昔、私がアオサギとはじめて遭遇したのは、その姿ではなく声を通してでした。森の中を歩いていると、いきなり頭上低いところをギャッという甲高い声が横切ったのです。強烈なインパクトのある声でした。もしこれが人気のない暗闇で相手の正体を知らずに聞いた声だとすれば、心中穏やかではいられなかったかもしれません。

サギの声といえば、漱石の「吾輩は猫である」にちょっと気になる一節があります。小説の場面は、例のごとく苦沙弥先生の家に浮世離れしたいつもの連中が集まってたわいもない雑談をしているところ。ここで客の一人である寒月君が、ヴァイオリンを弾ける場所を求めて、夜中、ひとりで山に登ったときの体験談を披露します。寒月君、目的の場所に辿り着き、闇と静寂の中で一枚岩の上に腰を下ろして恍惚としています。

「こういう具合で、自他の区別もなくなって、生きているか死んでいるか方角のつかない時に、突然後ろの古沼の奥でギャーという声がした。…」
「いよいよ出たね」
「その声が遠く反響を起して満山の秋の梢を、野分と共に渡ったと思ったら、はっと我に帰った…」
(…中略…)
「それから、我に帰ってあたりを見渡すと、庚申山一面はしんとして、雨垂れほどの音もしない。はてな今の音は何だろうと考えた。人の声にしては鋭すぎるし、鳥の声にしては大きすぎるし、猿の声にしてはーーこの辺によもや猿はおるまい。何だろう? (…中略…)今考えてもあんな気味の悪かった事はないよ、東風君」

恐怖に怯えた寒月君は、このあと一目散に山を駆け降りることになります。もっとも、漱石はこれがサギの声だとはどこにも書いていません。もしかすると、キツネか何かのつもりだったのかもしれません。けれど、「人の声にしては鋭すぎるし、鳥の声にしては大きすぎる」というのは正にサギの声の特徴です。しかも、声が聞こえたのはいかにもサギがいそうな「小沼の奥」、ここはやはりサギのほうが相応しいと思うのです。どうしてこれがサギでなければならないか、それにはもうひとつ理由があります。どうも漱石は不気味なイメージを象徴する存在としてサギをみなしていた節があるのです。

漱石の別の小説「夢十夜」にサギの出てくる場面があります。サギが登場するのは怪談調に書かれた第三夜、ここではサギがまるで闇の使いでもあるかのように描かれています。

左右は青田である。路は細い。鷺の影が時々闇に差す。
「田圃へかかったね」と背中で云った。
「どうして解る」と顔を後ろへ振り向けるようにして聞いたら、
「だって鷺が鳴くじゃないか」と答えた。
すると鷺がはたして二声ほど鳴いた。

漱石に限らず、日本人のサギ、とくにアオサギに対する印象はいつも多少の不気味さを伴ったものであったようです。その辺りの詳しい考察は、以前、弘前大学の佐原さんが鳥学会で発表されたことがあります。発表のごく簡単な内容がこちらのページの「3. 西欧文学と日本文学におけるアオサギイメージの異同」で紹介されています。そこに書かれている「憂鬱」「暗鬱」「幽かな」、これらのイメージをアオサギに読み取る人は今でもまだ少なくないのではないでしょうか。

現代になってアオサギとこれらのイメージの関係は多少薄れてきたかもしれません。しかし、あの声に限って言えば、今でも私たちの想像力を十分掻き立てる魔力をもち続けているように思うのです。

青鷺の 声鳴き渡る 闇夜かな (舂鋤)

そういえば、怪談の季節なのでした。暑い夜、アオサギの声で涼んでみてはいかがでしょう?

子育てシーズン終了

コロニーからようやくサギの姿が無くなったと思ったらもう秋なんですね。暦の上だけの話ですけど。

3月の半ばにコロニーに飛来し、それから5ヶ月弱、終わってみるとあっという間の繁殖シーズンでした。ここ札幌近郊の江別コロニーは数日前に1、2羽が残っていたのが最後だったようです。しばらく前まで何十、何百とヒナが見られ、巣の数も盛時には150を優に超えていたはずのコロニーも、今では写真のようにただの鬱蒼とした河畔林に戻ってしまいました。祭りの後という雰囲気すらありません。

ところで、今回、コロニーの店じまいは昨年に比べると10日余りも遅くなっていたようです。今年はシーズンの始まりが例年より少し遅れたので、その分だけ終わるのも遅くなったのでしょう。ただ、時期は少し遅れ気味だったものの、子育てそのものにはそれほど影響しなかったようで、巣立っていったヒナ数はほぼ例年並のようです。大ざっぱにデータを整理してみたところ、巣立ちヒナ数の平均は2.8羽でした。

もう少し具体的な数を挙げると、巣立ち近くまでヒナの様子を追うことができた48巣のうち、約半数にあたる25巣で3羽のヒナが巣立っていました。続いて多かったのは2羽兄弟のところで17巣、残りは4羽のところで6巣でした。不思議なことにひとりっ子の巣はひとつもありませんでした。このぐらいの巣数があれば1、2巣あってもおかしくないんですけどね。逆に5羽兄弟も見かけませんでした。このコロニーはもう何年も見ているのですが、5羽育てているところはまだ一度も確認できていません。このコロニーがここに移動してくる前、野幌にあった頃は5羽兄弟も稀ではなかったのですが。5羽育てるというのは、餌場、営巣場所ともよほど恵まれていないと難しいのでしょうね。

キツネとサギ

今回は久々に童話の紹介です。タイトルは「キツネとサギ」。このように動物名がふたつ並ぶのはイソップの特徴ですね。そのイソップ童話ですが、私はイソップというとその内容が教訓を含んだものばかりなので、てっきり中世のキリスト教世界で作られたものとばかり思っていました。ところが、イソップ童話の起源は紀元前6世紀まで遡るのだそうです。場所はギリシャ。ペルシャ戦争よりもさらに前、ちょうどピタゴラスの定理とかが考えられていた頃のことだったのですね。そんなに古くからある話なので、話の内容も作られた当時の原形が必ずしも保たれてはいません。「キツネとサギ」の話にしても、「キツネとツル」だったり「キツネ とコウノトリ」だったりと様々なバリエーションがあります。キツネとういうのはキャラクターが際立ちすぎて他に変え難いということでしょうか。一方、キツネの相手は誰でも良かったのでしょうね。少なくともあの形をした鳥であれば。ただ、ここで「キツネとサギ」とした場合のサギの表記はEgretでなくHeronになるので、サギはアオサギのことと解釈して構わないと思います。私もそれがアオサギでなければここで紹介する意味がなくなってしまいますから。

さて、それでは寓話の中身のご紹介。

「キツネとサギ」

むかしむかし、あるところにキツネとアオサギが住んでいました。あるときキツネはアオサギを食事に誘いました。アオサギは喜んでキツネの家に出かけました。「アオサギさん、いらっしゃい。さあ、一緒にスープを飲みましょう。」そして、キツネは平たいお皿にスープを満たして持ってきました。ところが、アオサギはくちばしが長いものですからスープを一滴も飲めません。キツネは一人でペロペロとスープを舐めてしまいました。そこで、アオサギは言いました。「キツネさん、今日はごちそうさまでした。明日は私が食事に招待しますよ。」翌日、キツネは喜んでアオサギの家に出かけました。「キツネさん、いらっしゃい。 さあ、一緒にいただきましょう。」そして、アオサギは首の狭まったボトルにご馳走を入れて持ってきました。アオサギはボトルの中に首を入れ、中のカエルやドジョウをおいしそうに食べました。ところが、キツネはボトルの首が狭すぎるものですから何も食べられません。結局、キツネはボトルの外側をペロペロと舐めることしかできませんでした。おしまい。

いかがでしょう? 教訓的な意味はさておき、アオサギの形態的な特徴がよく表れている内容ではないでしょうか。

ところで、上に貼った絵はこの寓話の状況を見事に描いています。これはアントワープの画家フランス・スナイデルスが17世紀前半に描いた作品で、ご覧のようにここに描かれているのはまさしくアオサギです。それにしても、この時期にこれほど実物に忠実に、しかも自然なフォルムのアオサギが描かれていたとは驚きです。

スナイデルスはこのモチーフがよほど気に入ったのか、ほとんど同じ構図の絵をもう一枚描いています(左の絵)。一見、同じように見えますが、右端のアオサギの姿勢がちょうど反対向きになってます。ようく見ると、マガモもいませんし背景もずいぶん変えられています。それでも、主役のキツネとアオサギ、それにボトルの描かれ方は上の絵とほとんど同じ。この部分は彼の中でも完璧な構図だったのでしょうね。絵の描かれた順番は分かりませんが、上の絵のほうがいくぶん丁寧に描き込まれている感じはします。1枚目の絵はニューヨークのロチェスター大学に、2枚目の絵はストックホルムのナショナルミュージアムに所蔵されているようです。一度、実物を拝見したいものです。

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